スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典東京盃&進化論

2022-10-06 19:08:37 | 地方競馬
 昨晩の第56回東京盃
 スマートダンディーは立ち遅れて1馬身の不利。ギシギシが逃げて2番手にクルセイズスピリツ。3番手にオーロラテソーロとケイアイターコイズ。5番手にテイエムサウスダン。6番手にスマートダンディー。2馬身差でレッドルゼル。2馬身差の最後尾にヴァルラーム。前半の600mは34秒6のミドルペース。
 隊列に変化はほとんどなく,内のスマートダンディーと外のテイエムサウスダンが並んでの5番手となって直線に。逃げたギシギシが粘るところ,外を回ったテイエムサウスダンが差して一旦は先頭。そこへさらに外からレッドルゼルが追い込んできて,テイエムサウスダンを差し切って優勝。テイエムサウスダンが1馬身差で2着。ギシギシとテイエムサウスダンの間から脚を伸ばしてきたオーロラテソーロが4分の3馬身差で3着。
 優勝したレッドルゼルは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞3勝目。このレースはテイエムサウスダンとレッドルゼルの能力が上位。ただこの2頭が共に休み明けでしたから,夏場もレースをしていた馬の逆転があるかもしれないとみていました。ただ結果は能力上位の2頭での決着。休養明けの不利が多少はあったと思うのですが,能力が抜けていたということでしょう。レッドルゼルの方がテイエムサウスダンより距離適性が高いので,レッドルゼルの優勝になったのも順当といえそうです。父はロードカナロア。祖母の父はフジキセキ。le Zeleはフランス語で熱望。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は第45回以来となる11年ぶりの東京盃2勝目。管理している安田隆行調教師は東京盃初勝利。

 マルクスKarl Heinrich Marxはスピノザを援用することによって,観念論的なヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの弁証法を唯物論的に変換することに成功しました。ただマルクスがこの方法を採用したことから理解できるのは,マルクスにとって問題であったのはヘーゲルの弁証法であって,弁証法そのものではなかったということです。実際にマルクスの哲学に弁証法は残っていて,この弁証法を形而上学として政治論が組み立てられています。これは有名なことでしょうからここでは詳しく立ち入ることはしません。ただ,スピノザの哲学からみたときには,とくにヘーゲルの弁証法だけが問題であるのではなく,弁証法そのものが問題を孕んでいます。それは分かりやすくいうと,弁証法というのは方法論として,進化論的な意味合いをそれ自体の中に含んでいるという点です。
 スピノザの哲学が進化論を絶対的に排除するのかといえば,必ずしもそうではありません。たとえば現実的に存在するある人間が別の人間と協力することによって自然Naturaに対して大きな権利jusを有するようになる,つまり自然権jus naturaeを拡大するというのは,明らかにその人間にとっての進化です。スピノザにとって権利は力potentiaと同じ意味ですから,そのものの力が拡大するということはそのものにとっての進化であるとしかいいようがないからです。ただしこのことは,力を拡大するそのものの意志voluntasによって生じるのではなく,神Deusの本性naturaの必然性necessitasすなわち第一部公理三の様式で発生する出来事です。ですから,一定の原因causaが与えられればあるものの進化は必然的にnecessario生じるのですが,それと同じ理屈によって,一定の原因が与えられるならそのものは退化することもあれば劣化することもあるのです。『国家論Tractatus Politicus』でいえば,君主制,貴族制,民主制が並べられていて,スピノザは民主制を最良の制度としていますが,だからといって政治体制は君主制から貴族制,貴族制から民主制へと進化していくという発想はスピノザにはなく,むしろ民主制が貴族制へ変化することもあり得るとみているのです。つまり政治体制の進化論的思想はスピノザの政治論には含まれていません。これと同じような意味で,その哲学のすべてに進化論的な思想は含まれていないのです。
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