スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岸和田キング争覇戦in和歌山&無限数

2021-01-12 19:41:30 | 競輪
 和歌山競輪場で争われた岸和田記念の決勝。並びは小松崎‐守沢の北日本,和田真久留-和田健太郎の南関東,浅井に恩田,才迫-松浦の広島で稲川は単騎。
 前受けしていた浅井と3番手の小松崎を,2周目のホームで叩いたのが和田真久留。このラインに才迫が続き,稲川は松浦を追走。バックで稲川までの3人が和田真久留を叩いて打鐘から先行。後ろになった小松崎が動き,コーナーは和田真久留と併走。ホームから発進しましたが,これは松浦に牽制されて失速。松浦はそのままバックの出口から番手捲りを敢行。捲ってきた浅井が稲川の横まで来ましたが,稲川がブロック。直線はそこから踏んだ稲川が松浦に迫ったものの,松浦が粘って優勝。稲川が4分の3車輪差で2着。3着は立て直して伸びた浅井と,外を踏んだ和田健太郎で接戦。3着入線は浅井でしたが,直線で恩田と守沢の落車の原因を作ったために失格。繰り上がった和田健太郎が1車身半差で3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は昨年8月のオールスター競輪以来の優勝。記念競輪は昨年4月の武雄記念以来となる7勝目。岸和田記念は初優勝ですが,昨年の和歌山記念を勝っています。ここは自力の脚力で上位だった上に,才迫という援軍を得ました。ですから才迫がよほどの失敗をしない限り,優勝は濃厚とみていました。うまい立ち回り方で才迫が打鐘からの先行に持ち込みましたので,順当な優勝といっていいでしょう。

 僕の見解opinioでは,ガリレイGalileo Galileiが1が唯一の無限数であるというとき,そのことによって意味したいのは,ここまで説明してきたような,実体substantiaとしての1のことであった可能性があるのです。いい換えればガリレイがいっているのは,1は無限infinitumであるということではなく,1はあらゆる数の実体である,つまり,1がなければどのような数もあることも考えるconcipereこともできないのだということだった可能性があると思うのです。ガリレイはおそらく数学を考えていたのであり,それを形而上学ないしは哲学に敷衍しようという意図は持ち合わせていなかった可能性が高そうです。だから実体としての数は1であるというような言明がガリレイから発せられることはなく,他面からいえば,ガリレイがそのような考えに至る可能性があり得ず,その代替として,1が唯一の無限数であるといったのではないでしょうか。もっともこの説明は,僕がスピノザを中心に,要するに形而上学的にガリレイがいっていることを解そうとしているからこそ出てくる説明であって,これとは逆に,スピノザがその哲学で表現しようとしたことを,数学に置き換えれば,ガリレイが立てたようなテーゼに至るといういい方もできるだろうと思います。
                                        
 僕は実体としての1を説明するときに,長さではなく面積および体積で示しました。その理由というのは,この説明の仕方が,実体としての1という実例をよりよく示すことができるだろうと僕が考えたからではありますが,それとは別の理由もありました。それはガリレイが,無限数といっている数の性質として,それ自体が平方数でありかつ立法数でもあるということをあげていた点にあります。正確には,それが平方数でもあり立法数でもあるということが,1を唯一の無限数とする根拠にガリレイがしているというべきでしょうが,それが1を無限数の根拠のひとつにするということは,もし無限数という数があるのなら,それは平方数でありかつ立法数でもあるのでなければならないとガリレイは考えていたということと同じであると僕は考えます。そして平方数とは面積を表すものであり,立法数は体積を表すものです。だから僕はこの説明をしたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする