スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤンググランプリ&第一部定理三一備考

2021-01-02 18:51:31 | 競輪
 12月29日に平塚競輪場で争われたヤンググランプリ。並びは小原‐高橋の北日本,坂井‐小林の北関東,黒沢-森田の埼玉で,河合と松井と宮本は単騎というコメントでしたが,当日の顔見せで,宮本は松井をマークすることになりました。
 松井がスタートを取って前受け。3番手に小原,5番手に坂井,7番手に黒沢,最後尾に河合で周回。残り3周のバックから黒沢が上昇開始。河合も続きました。黒沢はホームは小原の外を併走。コーナーで松井を叩いて前に。この外から坂井が上昇してきて,バックでは坂井が先頭。後方になった小原が打鐘から発進。ホームで坂井を叩いてかまし先行。ここで隊列に乱れが生じ,前から小原,高橋,坂井,黒沢,小林の順になり,この後ろを河合と森田で併走。8番手まで引いた松井はバックから発進。高橋が番手捲りに出ましたがその外を乗り越え,捲り切って優勝。マークの宮本が半車輪差の2着に続いて即席ラインのワンツー。最終コーナーで宮本にスイッチするレースになった森田が半車身差の3着。展開には最も恵まれた高橋は半車輪差で4着。
 優勝した神奈川の松井宏佑選手は9月の取手のFⅠ以来の優勝。2019年の別府記念以来となる2度目のグレードレース制覇。このレースは松井の脚力が図抜けているので,たとえ単騎で9番手になってしまっても捲れるのではないかと思っていました。力では2番手とみていた宮本が当日になってマークすることになり,ライバルがひとりいなくなった上にラインもできましたから,順当な優勝といっていいと思います。近いうちにGⅠにも手が届く選手ではないでしょうか。松井を追走するのはそんなに楽ではない筈で,きちんとマークして差を詰めた宮本も力をみせたと思います。

 ガリレイGalileo Galileiが可能的知性intellectus potentiaおよび現実的知性intellectus actuの何たるかを知った上で,連続体の部分について,分割される以前は可能性として無限infinitumであり,分割されれば現実的に有限finitumであるといったのかどうかは分かりません。しかしここには明らかにパラレルな関係があるのですから,ガリレイの意図とは無関係に,哲学の方を知っていればこの関係を容易に類推することになるでしょう。そしてこうした類推をしたときに,ひとつ気を付けておかなければならないことがあるのです。
                                   
 スピノザは第一部定理三一で,現実的知性は所産的自然Natura Naturataであるといっています。このことは知性が思惟の様態cogitandi modiであるということから明白ですし,またこの定理Propositioでいわれていること自体は,現在の考察と関係がありません。重要なのはこの定理の備考Scholiumの冒頭でスピノザがいっていることです。
 「ここで私が現実的知性について語る理由は,何らかの可能的知性が存在することを認めているからではない」。
 ここから分かるように,スピノザは知性としては現実的知性だけを認めて,可能的知性は認めないのです。ですから実際にはこの定理は現実的知性とはいわず,単に知性といえばよかったことになります。スピノザがここで現実的知性といういい方をしたのにはおそらく理由があって,これはアリストテレスAristotelēsの分類では,神Deusの知性は可能的知性ではなく現実的知性であるとされていたからで,要するにスピノザがこの定理でいわんとしたことは,たとえ神の知性であったとしても,それは能産的自然Natura Naturansではなく所産的自然であるということだったのです。その知性が無限であっても有限であっても所産的自然であるといういい方にも,そのことが現れているといっていいでしょう。
 可能的知性というのは,思惟作用に入る以前の知性が有する潜在的な力potentiaのことをいうのでした。スピノザはそのような知性が存在するということを認めていません。ですがここにも注意が必要なのであって,これはスピノザが知性は力であるということを否定しているということではないのです。スピノザが否定するのはそれが潜在的な力であるという点です。いい換えればスピノザは,知性は現実的な力であるといいたいのです。
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