スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

カーンの雑感⑤&具体例

2021-01-11 19:00:19 | NOAH
 で明らかにしたように,キラー・カーンは吉村道明の付き人でした。ジョー・樋口はそれについては何も語っていなかったのですが,カーンによれば吉村は麻雀が好きだったそうです。馬場も麻雀好きでは有名で,『オレの人生・プロレス・旅』の第五章は,「ジャイアント馬場と麻雀」という副題になっています。馬場は読売ジャイアンツの2軍時代に麻雀を覚え,日本プロレスに入った後は,豊登,芳の里,吉村と,巡業中は毎晩のように旅館で麻雀を打っていたと語っています。カーンによれば林牛之助,後のミスター・林や星野勘太郎も麻雀が好きだったそうです。カーンが入団した頃は,豊登や芳の里はいなかった筈ですから,雀卓を囲むメンバーにも変化が出ていたのでしょう。
                                        
 旅館で麻雀を打つためには,当然ながら麻雀牌が必要になります。それがすべての旅館に備えられているとは限りません。なので吉村の付き人であったカーンは,巡業に出るときには麻雀牌も持たされていたそうです。馬場は毎晩のように麻雀を打っていたといっていますが,カーンによれば休みの日には部屋に雀卓を用意したとのことです。つまり,馬場の話だと試合があった日の夜も麻雀を打っていたということになりますが,カーンの話によれば,麻雀を打っていたのは巡業中の休みの日だけだったということになります。
 もちろんこの当時も,吉村と馬場は麻雀を打つメンバーでした。カーンは雀卓を用意するだけではなく,馬場や吉村が麻雀を打ち終えた後は,牌をケースの中にしまって,また次の巡業地へと持ち歩いていました。このとき,馬場は必ずケースの中に小遣いを入れておいてくれたそうです。なのでカーンは麻雀牌を持ち歩くことを面倒だなどとは思わず,むしろ持たせてもらってラッキーだと感じていたそうです。
 でも示したように,このようにいろいろな仕方でカーンは馬場に可愛がられていました。だから1972年に馬場が日本プロレスを辞めたとき,カーンは本当は馬場についていきたかったようです。ですが吉村は日本プロレスに残りましたから,吉村の付き人だったカーンはそれができなかったのだそうです。

 実体substantiaとしての1というのを仮定した場合に,それが何を意味しなければならないのかということ,ならびに実体としての1とその結果effectusである様態modiとしての1を混同してはならないということは分かりました。適切であるとはいえないかもしれませんが,これを具体的に示すことを試みます。
 平面上に辺の長さが1の正方形があるとき,この正方形の面積は1です。同様に,辺の長さが1の立方体があるとき,この立方体の体積は1になります。このことが規準となって,すべての面積と体積は決定されます。いい換えれば,この1という面積および体積が存在しないなら,あらゆる面積と体積は算定することができません。よってあらゆる面積および体積は様態であり,規準となっている1は実体であるとみなせないことはないでしょう。この1という規準としての実体が存在しないなら,現実的に存在する様態としてのあらゆる面積および体積は算定し得ない,つまりあることも考えるconcipereこともできないようなものであるということになるからです。少なくとも,現実的にあるということはできるかもしれませんが,考えることができないということは間違いありません。
 ここでも気を付けなければならないのは,体積が1であるとか面積が1であるとかいわれているときの1は,様態としての1とは異なるということです。この1というのは,たとえばそれを様態として表象するimaginariとしても,どんな大きさであっても構わないからです。他面からいえば,辺の長さが1というときの1は,別に1メートルだろうが3メートルだろうが5メートルだろうがどうでもよいことです。どんな長さであろうとそれを1と規定するなら,正方形なら面積は1で,立方体なら体積が1になるということです。現実的に長さの単位として1とか2といわれているのは任意のものなのであって,その任意の長さによって面積や体積を算定しているだけです。1メートルの長さは現に1メートルとされている長さと異なった長さであり得たと考えることはできます。ですが辺の長さが1であれば,正方形の面積が1であり立方体の体積が1であることは,それとは異なって考えることができないものなのです。
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