スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山グランプリ&永遠の相の下での個物の認識

2020-01-13 18:43:52 | 競輪
 和歌山記念の決勝。並びは菅田‐佐藤‐大槻‐内藤の北日本,稲毛‐村上の近畿,松浦‐渡部‐桑原の西国。
 村上がスタートを取って稲毛の前受け。3番手に菅田,7番手に松浦で周回。残り3周のバックで松浦が上昇。コーナーで稲毛に並び,ホームで稲毛を叩いて誘導が退避。菅田はバックから発進。松浦を叩くとペースを落として打鐘。引いた稲毛が発進して菅田との先行争いに。ホームで稲毛が叩いて先行は稲毛。叩かれた菅田は佐藤に迎え入れられて3番手。バックから松浦が発進。スピードが違い,菅田,村上の牽制をものともせずに捲り切ってマークの渡部と直線勝負。迫られはしたものの優勝は松浦。渡辺が半車輪差の2着で西国のワンツー。直線の手前で佐藤がインに進路を取ったため,稲毛を差して一旦は3番手に上がった村上の外から伸びる形になった大槻が4分の3車身差で3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は競輪祭以来の優勝。記念競輪は9月の富山記念以来となる4勝目。和歌山記念は初優勝。このレースは松浦の脚力が一枚上なので,優勝が濃厚とみていました。松浦もグランプリに出場していたため,仕上がりが落ちていないかという不安はありましたが,捲ったときのスピードからすればさほど問題ではなかったようです。ただ渡部にそこそこ詰め寄られたのは,最後の粘りがいつもほどではなかったからかもしれず,若干の影響はあったのかもしれません。

 それでは『スピノザ 力の存在論と生の哲学』に関連する最後の考察に入ります。これも僕はこれまで気にもしていないことだったのですが,『エチカ』の読解にあたって重大な内容を含んでいる可能性があります。僕にはこれから示す秋保の読解が正しいかどうか不明なのですが,そのような読解が可能であるということは認めます。ただ,ほかの読解もあり得ることになるでしょう。
                                        
 第5章の脚注において,第一部定理二一証明に関する読解上の注意が示されています。これは脚注なので,この章の本論そのものと大きく関係しているというわけではありません。この章の中で,個別的なものすなわち個物res singularisを永遠の相species aeternitatisの下で理解するということがどういう事態であるのかが説明されている部分があり,第一部定理二一証明はそれを解く鍵になる部分として,脚注の方で紹介されているのです。
 第一部定理二一というのは,直接無限様態が無限infinitumであること,そして直接無限様態が永遠aeterunusであるということを主張しています。ですからそこでは個物について何かを語ろうという意図をスピノザが有していたようには思われません。ですがそれを証明した末尾の部分は,単に直接無限様態とだけ関連するのではなく,個物も関連するのだというのが秋保の読解の中心です。この考察では,個物を永遠の相の下で認識するcognoscereというのがいかなることであるのかということについては問題とはしません。秋保が,そのことが第一部定理二一証明の中に示唆されているということの正当性と,読解そのものの正当性にふたつだけを対象にします。
 まず重要なのは,第一部定理二一が,ふたつのことを同時に主張しているということです。もちろんそれは上に示したように,直接無限様態が無限であるということと,直接無限様態が永遠であるということのふたつです。ふたつのことをひとつの定理Propositioに示そうとしていますから,ふたつの論証Demonstratioが必要になります。実際にスピノザはこの定理の証明においては,まず直接無限様態が無限であるということを論証し,続けて直接無限様態が永遠であるということを論証しています。秋保の着眼点はふたつの論証後の末尾にあるので,この順序は重要です。
コメント
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