第80回皐月賞。
発走後の正面ではウインカーネリアンが先頭。外から追い掛けてきたキメラヴェリテが1コーナーで追いつくと,そのまま先頭に立って2コーナーにかけて後ろを引き離していきました。控えた2番手にウインカーネリアン。2馬身差でディープボンドとビターエンダー。ここまではばらばら。2馬身差でサリオスが好位集団の一番前。以下ラインベック,テンピン,ヴェルトライゼンデ,サトノフラッグ,コルテジア,ガロアクリーク,コントレイルとマイラプソディ,ダーリントンホール,レクセランス,アメリカンシードとクリスタルブラックまでは一団で続きました。3馬身差の最後尾にブラックホール。前半の1000mは59秒8のハイペース。
3コーナーではキメラヴェリテのリードは1馬身に。ここから後続の各馬が外から捲り上げていったため,8頭ほどが雁行する形に。外から2頭目がサトノフラッグで大外がコントレイル。直線で先頭に立ったのはウインカーネリアン。その内からサリオス,そして外を回ったコントレイルの2頭が抜け出し,直線半ばからは抜け出した2頭の競り合いに。最後は外のコントレイルが捻じ伏せて優勝。サリオスが半馬身差で2着。前の2頭が抜け出した後で大外から追い込んできたガロアクリークがウインカーネリアンを差して3馬身半差で3着。
優勝したコントレイルはホープフルステークス以来の実戦。これでデビューからの連勝を4に伸ばして大レース2勝目。このレースは無敗で2歳の大レースを制した2頭が,ともにそれ以来の実戦で初対決。結果的にその2頭が後ろを離しての決着となりましたから,ともに久々のレースだったということも考慮に入れると,その2頭の能力が傑出していたということになるでしょう。ダービーに向けては,2000mに適応できることは前走で示していましたが,さらに距離が延びることがプラスに働くとは思いません。それをどこまで能力で相殺できるのかといったところではないでしょうか。父は第65回を制したディープインパクトで父仔制覇。Contrailは飛行機雲。

騎乗した福永祐一騎手はホープフルステークス以来の大レース34勝目。皐月賞は初勝利。管理している矢作芳人調教師はフェブラリーステークス以来の大レース15勝目。皐月賞は初勝利。
スピノザの哲学が党派的なものではあり得ないと僕が考える最大の理由は,第四部定理三五にあります。そこでは,人間の本性natura humanaは各人が理性ratioに従う限りで一致するといわれています。つまり,各人の政治的立場や宗教的立場,階級や年齢などに違いがあろうとも,理性に従う限りでは立場の相違を超えて,すべての人間の本性が一致するのです。よってスピノザの哲学は,すべての人,少なく見積もっても理性に従おうとするすべての人に共通の真理veritasを教えるものであり,ある特定の立場の人にだけ向けられたものではありません。よってこの限りにおいて,スピノザの哲学は党派的であることを否定するのです。他面からいえば,どのような立場であったとしても,党派的なものに縛られている人は,理性に従っていない人であることになるでしょう。そしてそれがスピノザの哲学が目指そうとしているところではないことは,すでに説明したことから明らかだと思います。
しかし一方で,このことは現実的に存在する人間が党派的であるということを何ら否定するものではないという側面を有しているのです。それは次のような理由によります。
人間の本性が一致するのは人間が理性に従う場合です。スピノザの哲学では,理性というのは共通概念notiones communesを基礎とした認識cognitioのことを意味します。第二部定理三八と第二部定理三九から分かるように,共通概念というのは十全な認識です。よって第三部定理三により,これは精神の能動Mentis actionesを意味することになります。したがって,理性に従う限りで人間の本性が一致するというのは,人間は能動的である限りにおいて,あるいは同じことですが働くagere限りにおいて,本性が一致するといっているのと同じになります。スピノザが立てた道徳律は,能動的であることを目指すものでしたから,党派的にならないことはその道徳律に合致しているといえるでしょう。しかしこの道徳律は,人間が受動的であることを全面的に否定するものではありませんでした。人間が受動passioから免れ得ないということもスピノザは同時に認めていたからです。したがって,党派的であること,党派的になることを全面的には免れ得ないことも,スピノザは認めるのです。
発走後の正面ではウインカーネリアンが先頭。外から追い掛けてきたキメラヴェリテが1コーナーで追いつくと,そのまま先頭に立って2コーナーにかけて後ろを引き離していきました。控えた2番手にウインカーネリアン。2馬身差でディープボンドとビターエンダー。ここまではばらばら。2馬身差でサリオスが好位集団の一番前。以下ラインベック,テンピン,ヴェルトライゼンデ,サトノフラッグ,コルテジア,ガロアクリーク,コントレイルとマイラプソディ,ダーリントンホール,レクセランス,アメリカンシードとクリスタルブラックまでは一団で続きました。3馬身差の最後尾にブラックホール。前半の1000mは59秒8のハイペース。
3コーナーではキメラヴェリテのリードは1馬身に。ここから後続の各馬が外から捲り上げていったため,8頭ほどが雁行する形に。外から2頭目がサトノフラッグで大外がコントレイル。直線で先頭に立ったのはウインカーネリアン。その内からサリオス,そして外を回ったコントレイルの2頭が抜け出し,直線半ばからは抜け出した2頭の競り合いに。最後は外のコントレイルが捻じ伏せて優勝。サリオスが半馬身差で2着。前の2頭が抜け出した後で大外から追い込んできたガロアクリークがウインカーネリアンを差して3馬身半差で3着。
優勝したコントレイルはホープフルステークス以来の実戦。これでデビューからの連勝を4に伸ばして大レース2勝目。このレースは無敗で2歳の大レースを制した2頭が,ともにそれ以来の実戦で初対決。結果的にその2頭が後ろを離しての決着となりましたから,ともに久々のレースだったということも考慮に入れると,その2頭の能力が傑出していたということになるでしょう。ダービーに向けては,2000mに適応できることは前走で示していましたが,さらに距離が延びることがプラスに働くとは思いません。それをどこまで能力で相殺できるのかといったところではないでしょうか。父は第65回を制したディープインパクトで父仔制覇。Contrailは飛行機雲。

騎乗した福永祐一騎手はホープフルステークス以来の大レース34勝目。皐月賞は初勝利。管理している矢作芳人調教師はフェブラリーステークス以来の大レース15勝目。皐月賞は初勝利。
スピノザの哲学が党派的なものではあり得ないと僕が考える最大の理由は,第四部定理三五にあります。そこでは,人間の本性natura humanaは各人が理性ratioに従う限りで一致するといわれています。つまり,各人の政治的立場や宗教的立場,階級や年齢などに違いがあろうとも,理性に従う限りでは立場の相違を超えて,すべての人間の本性が一致するのです。よってスピノザの哲学は,すべての人,少なく見積もっても理性に従おうとするすべての人に共通の真理veritasを教えるものであり,ある特定の立場の人にだけ向けられたものではありません。よってこの限りにおいて,スピノザの哲学は党派的であることを否定するのです。他面からいえば,どのような立場であったとしても,党派的なものに縛られている人は,理性に従っていない人であることになるでしょう。そしてそれがスピノザの哲学が目指そうとしているところではないことは,すでに説明したことから明らかだと思います。
しかし一方で,このことは現実的に存在する人間が党派的であるということを何ら否定するものではないという側面を有しているのです。それは次のような理由によります。
人間の本性が一致するのは人間が理性に従う場合です。スピノザの哲学では,理性というのは共通概念notiones communesを基礎とした認識cognitioのことを意味します。第二部定理三八と第二部定理三九から分かるように,共通概念というのは十全な認識です。よって第三部定理三により,これは精神の能動Mentis actionesを意味することになります。したがって,理性に従う限りで人間の本性が一致するというのは,人間は能動的である限りにおいて,あるいは同じことですが働くagere限りにおいて,本性が一致するといっているのと同じになります。スピノザが立てた道徳律は,能動的であることを目指すものでしたから,党派的にならないことはその道徳律に合致しているといえるでしょう。しかしこの道徳律は,人間が受動的であることを全面的に否定するものではありませんでした。人間が受動passioから免れ得ないということもスピノザは同時に認めていたからです。したがって,党派的であること,党派的になることを全面的には免れ得ないことも,スピノザは認めるのです。