笠松から1頭が遠征してきた第58回しらさぎ賞。
先行争いは激しくなったものの,1周目の1コーナーを前にストロングハートが抜け出ました。2番手にクイーンズテソーロで3番手はヴィルトファンとウインメディウム。ここまでが集団。2馬身差でアークヴィグラス,サラーブ,ケンガイアの3頭。4馬身差でフラワーオアシス。4馬身差でサンルイビル。3馬身差でビマジョとトーセンガーネット。4馬身差の最後尾がナラと,かなり縦長の隊列に。最初の600mは35秒9のハイペース。
3コーナーを回ると逃げたストロングハートと追ったクイーンズテソーロの2頭で3番手以下を一時的に引き離しました。しかし追ったクイーンズテソーロの方はコーナーの中間で苦しくなり,ヴィルトファンがその内から2番手に上がり,さらにこの2頭の外からサラーブも追い上げてきました。ハイラップで逃げたストロングハートは最後は苦しくなったものの,追い上げた2頭が前まで届くというところまではいかず,逃げ切ったストロングハートが優勝。内を回ることができたヴィルトファンが2馬身差の2着。外を回らされたサラーブはクビ差で3着。
優勝したストロングハートは昨年2月のA2クラス以下のレース以来の勝利。2歳の時にエーデルワイス賞を勝ち,その後で南関東に転入。南関東重賞では2着や3着はあったものの勝つには至らず,これが初勝利。昨年の夏以降は落ち込んでいたのですが,今年に入ると復活の気配。前走は4着とはいえ離されたものの,相手関係からするとかなりいい内容のレースでしたから,ここは最有力候補ではないだろうかと思っていました。逃げることができたのもよかったのでしょう。距離はこのくらいがぎりぎりで,もう少し短い方が本当はいいのではないかと思います。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスに勝ったスマートボーイ。5代母がパッシングクラウドで,ひとつ上の全姉に2016年にローレル賞を勝ったアップトゥユー。
騎乗した川崎の町田直希騎手はスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞12勝目。しらさぎ賞は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞17勝目。第51回,56回に続き2年ぶりのしらさぎ賞3勝目。
最後にもう一度,次のことをいっておきます。それは僕が政治的であるということと,党派的であるということを,厳密に使い分けているということです。スピノザの哲学は党派的であることを許容する余地を残してはいるものの,それ自体が党派的であるということはできません。他面からいえば,スピノザの哲学を党派的なものとして解釈するとすれば,それは解釈として誤謬errorを含んでいるといわなければなりません。また,スピノザの哲学を党派的なもののために用いるとすれば,そのような用い方は正当性を欠くといわなければならないでしょう。そして,スピノザの哲学そのものについて党派的な立場を採用するとすれば,スピノザの哲学は採用されたその立場自体を否定することになると思います。アルチュセールLouis Pierre Althusserが党派的であったことを批判するとすれば,それはこの観点からなされなければならないと僕は考えます。
しかし,党派的であるということと政治的であるということは異なるのですから,スピノザの哲学が党派的ではあり得ないとしても,政治的であり得ないということにはなりません。むしろ僕のいう政治的であるということは,ある思想によって基礎づけられた政治的な行動や行為のすべてを意味するのですから,スピノザの哲学はきわめて政治的であるとさえいえます。スピノザの哲学の場合,思想を十全に理解するということと,それが実践されるということは切り離せないような関係にあるからです。これは論理的にいえば,どのような政治的立場に立つかということは,その立場に立つ主体subjectumの意向に左右されるわけではないということから明らかです。また,具体的な例証としては,スピノザ主義者であったカヴァイエスJean Cavaillèsが,最終的には銃殺されることになるのだけれども,レジスタンス運動に参加したという事実から,もちろんこれは極端な例ではありますが,明らかだといえるでしょう。こうしたことは,政治的であるということがいかなることであるのかということについて,僕の説明を理解してもらえるのなら,近藤も同意するに違いないでしょう。
そもそも人間は,ある政治体制とか政治的状況を選択して存在するわけではありません。
先行争いは激しくなったものの,1周目の1コーナーを前にストロングハートが抜け出ました。2番手にクイーンズテソーロで3番手はヴィルトファンとウインメディウム。ここまでが集団。2馬身差でアークヴィグラス,サラーブ,ケンガイアの3頭。4馬身差でフラワーオアシス。4馬身差でサンルイビル。3馬身差でビマジョとトーセンガーネット。4馬身差の最後尾がナラと,かなり縦長の隊列に。最初の600mは35秒9のハイペース。
3コーナーを回ると逃げたストロングハートと追ったクイーンズテソーロの2頭で3番手以下を一時的に引き離しました。しかし追ったクイーンズテソーロの方はコーナーの中間で苦しくなり,ヴィルトファンがその内から2番手に上がり,さらにこの2頭の外からサラーブも追い上げてきました。ハイラップで逃げたストロングハートは最後は苦しくなったものの,追い上げた2頭が前まで届くというところまではいかず,逃げ切ったストロングハートが優勝。内を回ることができたヴィルトファンが2馬身差の2着。外を回らされたサラーブはクビ差で3着。
優勝したストロングハートは昨年2月のA2クラス以下のレース以来の勝利。2歳の時にエーデルワイス賞を勝ち,その後で南関東に転入。南関東重賞では2着や3着はあったものの勝つには至らず,これが初勝利。昨年の夏以降は落ち込んでいたのですが,今年に入ると復活の気配。前走は4着とはいえ離されたものの,相手関係からするとかなりいい内容のレースでしたから,ここは最有力候補ではないだろうかと思っていました。逃げることができたのもよかったのでしょう。距離はこのくらいがぎりぎりで,もう少し短い方が本当はいいのではないかと思います。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスに勝ったスマートボーイ。5代母がパッシングクラウドで,ひとつ上の全姉に2016年にローレル賞を勝ったアップトゥユー。
騎乗した川崎の町田直希騎手はスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞12勝目。しらさぎ賞は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞17勝目。第51回,56回に続き2年ぶりのしらさぎ賞3勝目。
最後にもう一度,次のことをいっておきます。それは僕が政治的であるということと,党派的であるということを,厳密に使い分けているということです。スピノザの哲学は党派的であることを許容する余地を残してはいるものの,それ自体が党派的であるということはできません。他面からいえば,スピノザの哲学を党派的なものとして解釈するとすれば,それは解釈として誤謬errorを含んでいるといわなければなりません。また,スピノザの哲学を党派的なもののために用いるとすれば,そのような用い方は正当性を欠くといわなければならないでしょう。そして,スピノザの哲学そのものについて党派的な立場を採用するとすれば,スピノザの哲学は採用されたその立場自体を否定することになると思います。アルチュセールLouis Pierre Althusserが党派的であったことを批判するとすれば,それはこの観点からなされなければならないと僕は考えます。
しかし,党派的であるということと政治的であるということは異なるのですから,スピノザの哲学が党派的ではあり得ないとしても,政治的であり得ないということにはなりません。むしろ僕のいう政治的であるということは,ある思想によって基礎づけられた政治的な行動や行為のすべてを意味するのですから,スピノザの哲学はきわめて政治的であるとさえいえます。スピノザの哲学の場合,思想を十全に理解するということと,それが実践されるということは切り離せないような関係にあるからです。これは論理的にいえば,どのような政治的立場に立つかということは,その立場に立つ主体subjectumの意向に左右されるわけではないということから明らかです。また,具体的な例証としては,スピノザ主義者であったカヴァイエスJean Cavaillèsが,最終的には銃殺されることになるのだけれども,レジスタンス運動に参加したという事実から,もちろんこれは極端な例ではありますが,明らかだといえるでしょう。こうしたことは,政治的であるということがいかなることであるのかということについて,僕の説明を理解してもらえるのなら,近藤も同意するに違いないでしょう。
そもそも人間は,ある政治体制とか政治的状況を選択して存在するわけではありません。