第22回中山グランドジャンプ。
コスモロブロイは立ち上がってしまい3馬身の不利。前半の基本的な隊列はメドウラーク,オジュウチョウサン,メイショウダッサイ,シングンマイケル,シンキングダンサー,ユイノシンドバッド,ヒロシゲセブン,ブライトクォーツ,セガールフォンテン,アズマタックン,コスモロブロイの順。4番手と5番手の間には大きめの差がありました。セガールフォンテンは大生垣障害で落馬しました。
最終周回の1コーナーを回るとブライトクォーツが5番手に。ここで5番手と6番手に決定的な差がつき,優勝争いは前の5頭。逃げていたメドウラークは向正面の障害で飛越に失敗し後退。オジュウチョウサンが先頭に立つと,ブライトクォーツが2番手,3番手にメイショウダッサイ,4番手にシングンマイケルとなって4頭の争いに。残り600mを過ぎるとオジュウチョウサンが2番手との差を広げていきました。最終コーナーではメイショウダッサイがブライトクォーツに並び掛け,直線では2番手に。シングンマイケルは最後の障害で落馬。メイショウダッサイはオジュウチョウサンとの差を縮めはしたものの並ぶというところまではいかず,優勝はオジュウチョウサン。3馬身差の2着にメイショウダッサイ。ブライトクォーツはそこから2秒4差の3着。それでも4着のシンキングダンサーとはさらに3秒7の差がありました。
優勝したオジュウチョウサンは前走の阪神スプリングジャンプからの連勝で重賞13勝目。大レースは昨年の中山グランドジャンプ以来の7勝目。第18回,19回,20回も制していて,中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。昨秋はまた平地を走り,その間に新進の障害馬も出てきましたが,前走でそれらに対して実力上位というところをみせつけていました。今日は大雨の影響で馬場が悪くなり,5分02秒9と極度に時計が掛かったのですが,第一の持ち味はスタミナですから,ほかの馬に対しては有利に働いたのではないかと思います。順当な優勝で,もしかしたら障害ではもう負けないまま引退までいくのかもしれません。おそらくこれほどの馬はもう出てこないでしょう。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。ひとつ上の全兄に2013年にラジオNIKKEI賞に勝ったケイアイチョウサン。
騎乗した石神深一騎手は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース8勝目。中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。管理している和田正一郎調教師は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース7勝目。中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。
理性ratioによって欲望cupiditasを統御する,いい換えれば精神mensによって身体corpusを統御するというデカルトRené Descartesの道徳律は,現実的に存在する人間に対して無理なこと,不可能なことを要求していることになります。このためにスピノザは独自に,それとは異なる新たな道徳律を立てることになりました。それが能動的であること,働くagereことを目指し,受動的であること,働きを受けるpatiことを回避するというものです。第三部定義二から分かるように,あるものが十全な原因causa adaequataとなっている場合が能動actioであり,それに反してあるものが部分的原因causa partialisになっている場合が受動passioですから,この道徳律は,現実的に存在する人間の一人ひとりが,十全な原因として働くことを目指し,部分的原因となって働きを受けることを回避するという道徳律であるといい換えることができるでしょう。

ですがこの道徳律は,能動的であることを全面的に肯定するものではあり得るのですが,受動的であることを全面的に否定するようなものではあり得ないという一面がスピノザの哲学にはあるのです。いい換えればそれは,現実的に存在する人間に対して,受動的であることを批判するような内容を有さないという一面があるのです。なぜなら,スピノザはこのような道徳律を立ててはいるのですが,第四部定理四から分かるように,人間が十全な原因であるということには限界がある,要するに人間が働くということには限界があるのであって,部分的原因になること,働きを受けることを完全に回避することは不可能であることを同時に認めているからです。ですから,もし現実的に存在する人間に対して,能動的であることを全面的に要求するのであれば,それは理性によって欲望を,精神によって身体を統御するように要求するのと同様に,人間に対して無理で不可能な要求をしていることになります。だからこの道徳律は,可能な範囲内で能動的であることを目指し,また可能な範囲内で受動的であることを避けるように要求する道徳律であることになります。
なぜこの道徳律についてここで示したのかといえば,党派的であるということについても同じような関係がスピノザの哲学のうちには見出せると思うからです。
コスモロブロイは立ち上がってしまい3馬身の不利。前半の基本的な隊列はメドウラーク,オジュウチョウサン,メイショウダッサイ,シングンマイケル,シンキングダンサー,ユイノシンドバッド,ヒロシゲセブン,ブライトクォーツ,セガールフォンテン,アズマタックン,コスモロブロイの順。4番手と5番手の間には大きめの差がありました。セガールフォンテンは大生垣障害で落馬しました。
最終周回の1コーナーを回るとブライトクォーツが5番手に。ここで5番手と6番手に決定的な差がつき,優勝争いは前の5頭。逃げていたメドウラークは向正面の障害で飛越に失敗し後退。オジュウチョウサンが先頭に立つと,ブライトクォーツが2番手,3番手にメイショウダッサイ,4番手にシングンマイケルとなって4頭の争いに。残り600mを過ぎるとオジュウチョウサンが2番手との差を広げていきました。最終コーナーではメイショウダッサイがブライトクォーツに並び掛け,直線では2番手に。シングンマイケルは最後の障害で落馬。メイショウダッサイはオジュウチョウサンとの差を縮めはしたものの並ぶというところまではいかず,優勝はオジュウチョウサン。3馬身差の2着にメイショウダッサイ。ブライトクォーツはそこから2秒4差の3着。それでも4着のシンキングダンサーとはさらに3秒7の差がありました。
優勝したオジュウチョウサンは前走の阪神スプリングジャンプからの連勝で重賞13勝目。大レースは昨年の中山グランドジャンプ以来の7勝目。第18回,19回,20回も制していて,中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。昨秋はまた平地を走り,その間に新進の障害馬も出てきましたが,前走でそれらに対して実力上位というところをみせつけていました。今日は大雨の影響で馬場が悪くなり,5分02秒9と極度に時計が掛かったのですが,第一の持ち味はスタミナですから,ほかの馬に対しては有利に働いたのではないかと思います。順当な優勝で,もしかしたら障害ではもう負けないまま引退までいくのかもしれません。おそらくこれほどの馬はもう出てこないでしょう。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。ひとつ上の全兄に2013年にラジオNIKKEI賞に勝ったケイアイチョウサン。
騎乗した石神深一騎手は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース8勝目。中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。管理している和田正一郎調教師は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース7勝目。中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。
理性ratioによって欲望cupiditasを統御する,いい換えれば精神mensによって身体corpusを統御するというデカルトRené Descartesの道徳律は,現実的に存在する人間に対して無理なこと,不可能なことを要求していることになります。このためにスピノザは独自に,それとは異なる新たな道徳律を立てることになりました。それが能動的であること,働くagereことを目指し,受動的であること,働きを受けるpatiことを回避するというものです。第三部定義二から分かるように,あるものが十全な原因causa adaequataとなっている場合が能動actioであり,それに反してあるものが部分的原因causa partialisになっている場合が受動passioですから,この道徳律は,現実的に存在する人間の一人ひとりが,十全な原因として働くことを目指し,部分的原因となって働きを受けることを回避するという道徳律であるといい換えることができるでしょう。

ですがこの道徳律は,能動的であることを全面的に肯定するものではあり得るのですが,受動的であることを全面的に否定するようなものではあり得ないという一面がスピノザの哲学にはあるのです。いい換えればそれは,現実的に存在する人間に対して,受動的であることを批判するような内容を有さないという一面があるのです。なぜなら,スピノザはこのような道徳律を立ててはいるのですが,第四部定理四から分かるように,人間が十全な原因であるということには限界がある,要するに人間が働くということには限界があるのであって,部分的原因になること,働きを受けることを完全に回避することは不可能であることを同時に認めているからです。ですから,もし現実的に存在する人間に対して,能動的であることを全面的に要求するのであれば,それは理性によって欲望を,精神によって身体を統御するように要求するのと同様に,人間に対して無理で不可能な要求をしていることになります。だからこの道徳律は,可能な範囲内で能動的であることを目指し,また可能な範囲内で受動的であることを避けるように要求する道徳律であることになります。
なぜこの道徳律についてここで示したのかといえば,党派的であるということについても同じような関係がスピノザの哲学のうちには見出せると思うからです。