スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&三段論法

2020-04-10 19:24:22 | 将棋
 7日に鶴巻温泉で指された第13期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女王が5勝,加藤桃子女流三段が4勝。
 振駒で加藤三段の先手となり,西山女王の角道オープン三間飛車。居飛車穴熊に組んだ先手が6筋から攻め,後手が左の金を繰り出していく将棋になりました。
                                        
 先手が歩を打った局面。後手はここで☖6五香と打ちました。先手は☗4九飛と逃げ後手は☖5二金。どうもこの折衝は後手が損だったようです。それは後の手順で分かります。
 先手は☗7五香と金を取り,後手は☖3七銀成と角を取りました。そして☗同桂に☖6四角。先手は☗4一銀と飛車金両取りを掛け,後手は☖3七角成と桂馬を取りました。
 ここで☗3二銀成と飛車を取ると☖7六角と打って後手がよくなります。後手はそれを見越してこの手順に進めたものと思いますが,☗5二銀不成と金の方を取られ☖同飛に☗4三飛成で,あとは防戦一方となってしまいました。
                                        
 5八の金が浮いているのは先手の弱みなので,第1図ではすぐに☖3七銀成と角を取ってしまい,☗6三歩成と攻め合ってくるなら☖8五角と催促しつつ金を打つか,反対側から☖3六角と打って狙うかすれば,もう少しやれたのではないかと思います。
 加藤三段が先勝。第二局は16日に予定されています。

 スピノザの哲学が徹底した内在の哲学であることは事実です。ですからスピノザの哲学は,意識の哲学への対抗馬としてはとても有力です。このことは主体の排除というスピノザの哲学の特徴からも明らかです。したがって,実存主義なり現象学なりが意識の哲学であるなら,スピノザの哲学はそうした思想へのアンチテーゼになります。このことは僕も認めます。ただしここまでのことは,何ら政治的な観点を含むものではありません。いい換えれば,スピノザの哲学が意識の哲学と対立するということは,純粋な思想的な対立なのであって,政治的な対立であるわけではないと僕は解します。同時に,このことは多くの方に同意してもらえるのではないかと僕は予想します。したがって,アルチュセールLouis Pierre AlthusserはゲルーMartial Gueroultのスピノザ哲学論はノンポリであるとみなしたわけですが,たとえばゲルーが学生たちにスピノザを教えるときに,意識の哲学に対立する思想としてのスピノザという観点から教えるとすれば,それが非政治的であることもあり得ると僕は考えます。とくにゲルーの場合,思想家であったというよりは哲学史家であったのですから,非政治的にスピノザを教え,また学ぶということは,思想家という立場に立つ人よりも多くの機会を有することができたであろうと推測できます。
 アルチュセールはこのこと,スピノザの哲学が意識の哲学である現象学や実存主義の対立軸となるということだけを認識していたのではありません。アルチュセールにとっての実存主義や現象学はブルジョアジーの思想でしたから,スピノザの哲学はそれへの対立軸にもなると認識していたのです。アルチュセールはスピノザの哲学が意識の哲学への対抗軸として有効であることを認識し,意識の哲学を代表する現象学や実存主義はブルジョアジーの思想なので,スピノザの哲学はブルジョアジーの思想の対立軸にもなるという三段論法が成立すると認識したのではないかというのが僕の推測です。あくまでも推測なのでこれが確かにアルチュセールの思考の流れを正しく説明できているかは不明ですが,この三段論法は成立しないだろうと僕は考えます。一段目と三段目は異なると思うからです。
コメント
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