スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

僕たちの将来⑤&二大勢力

2020-04-24 19:08:39 | 歌・小説
 の直後で歌われる部分がの直後にも歌われます。この楽曲の主要部分になります。ただ,歌詞カードにはありませんが,これは楽曲の最後にもリフレインされていますので,後回しにします。
                                        
 その最後のリフレインの直前の部分では,次のように歌われます。

     青の濃すぎるTVの中では
     まことしやかに暑い国の戦争が語られる


 ②にあったように,ふたりはレストランにいたのでした。そのレストランには一台の映りの悪いテレビが置いてあって,そのテレビには,おそらくこの時点で勃発していた暑い国での戦争のニュースが流れていました。これはこの場の状況の説明です。そのニュースに彼が次のような反応を示します。

     僕は 見知らぬ海の向こうの話よりも
     この切れないステーキに腹を立てる


 彼はステーキを食べていると何度かいいましたが,僕がステーキと断定できたのはこの部分を知っていたからです。で,彼はナイフに急に力を入れたとありますが,あれはことばを切るためだけでなく,肉そのものも固くて切りにくかったのです。そしてこのときの彼にはそれが最も重大なことでした。知らない国の戦争などには関心をもってはいられなかったのです。

 スピノザ自身が政治的であったというときに,そこにどのような意味があると僕が解しているのかは分かってもらえたでしょう。スピノザはおそらくは自身のうちにあったスピノザ主義によって議会派を支持したのですが,スピノザが政治的であろうとしたときに,議会派は完全であったということではないのです。
 スピノザが政治的であったということは間違いないところですが,だから党派的であったというわけではありません。この当時は王党派と議会派が事実上の二大勢力ですから,スピノザが党派的であったというなら,議会派が正しく王党派は誤りであるという認識cognitioをスピノザが有していたといわなければなりませんが,実際にはそうではなかったと思われます。たとえばスピノザが,王党派を支持していたコンスタンティンConstantijin Huygensと懇意にしていたということは,スピノザが党派的な人物ではなかったということを,歴史的事実という側面から明らかにしているのではないでしょうか。
 同じことは王党派の側からもいえます。王党派を支持したプロテスタントの牧師の中には,明らかに党派的な立場から,これは政治的な立場というより宗教的な立場における党派性と解する方がいいかもしれませんが,そのような立場からスピノザを排斥しようとした人がいたことは確かだと思います。しかしコンスタンティンは王党派を支持こそしていたものの,スピノザが別荘に立ち寄ることを拒もうとはしませんでした。また,ファン・ローンJoanis van Loonはスピノザよりも政治的にも宗教的にも急進的な人物であったと思われるのですが,そのファン・ローンを近くに置いておいたのです。これらのことから,少なくともコンスタンティンは党派的なものからは無縁に近い人物であったと判断するべきであって,スピノザが進歩的な議会派を支持したから党派的にならずにいられたというわけではなく,反動的な王党派に属する人物,あるいは王党派を支持する人物の中にも,党派性からは遠のいていた者がいたのです。
 フッデJohann Huddeは議会派として政治家になったのですが,後にオランダの政治の実権を王党派が掌握してからも,長くアムステルダムAmsterdamの市長を務めました。これもその一例でしょう。
コメント
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