スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&力と無能

2019-10-02 19:07:07 | 将棋
 神戸で指された昨日の第67期王座戦五番勝負第三局。
 永瀬拓矢叡王の先手で斎藤慎太郎王座の急戦矢倉に類する将棋になりました。後手の攻めに先手が徹底抗戦する進展で,矢倉の場合は受けきって勝つというのは難しいので,そのあたりは後手の方がよかったのだろうと思います。しかし先手の粘りの前に決定打がなく,いつしか攻め合いの将棋に。
                                        
 先手が飛車を打った局面。このまま☗5二飛成を許すわけにはいかないので受ける必要があります。☖4一金と打ちましたが,これがあまりよくなく,強く角取りに☖6一金と打つべきだったようです。当たりになっていないので先手は☗9二飛成で香車を補充。
 手番を得た後手は☖4九飛と反撃。これは☗5九金と打たせて☖2九飛成とし,先手の戦力を削ぐ狙いもありました。
 そこで☗5三香と打ったのが非凡な好手。取るわけにもいかずまた☗5二香成も許せないので先手は☖4三王と上がりました。先手はさらに☗6二角成と5二の地点に駒を足し,☖5一銀の受けに☗7三馬で今度は桂馬を補充しました。
 再び手番を得た後手は☖5六桂から反撃。先手は☗8八玉と早逃げし☖4八桂成☗同金☖5九龍のときに☗8三龍と引きました。
                                        
 これが間接的に4三の玉を睨む好手。ここでは先手の攻め合い勝ちが見込める局面となっています。
 3連勝で永瀬叡王が王座を奪取。今年度の叡王戦に続き通算で2期目のタイトル獲得となり,同時に八段昇段を決めました。

 真の観念idea veraと誤った観念idea falsa,十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの関係が,有と無の関係にあるということを踏まえて,再びペガサスの例を考えてみます。
 翼がある馬,すなわちペガサスは,実在する生物ではありません。ですから何らかの知性intellectusがペガサスを認識するcognoscereということがあれば,それは誤った観念でありまた混乱した観念です。なぜなら真の観念ならびに十全な観念は,観念されたものideatumと一致するのですが,この場合は一致するといわれるような観念対象ideatumが非実在的であるとされているからです。分かりやすくいえば一致するその対象というものが存在しません。このような観念はそのすべてが誤った観念でありまた混乱した観念であることになります。
 ですが,ペガサスの観念には,馬に対して翼を肯定する意志作用volitioが含まれています。そしてこの関係が,真verumなるものを真として,また十全adaequatumなるものを十全なものとして肯定する意志作用と,観念と意志作用との間にだけ注目すれば,一致するということはすでにみた通りです。よってこれでみれば,真なるもの,実在的なものを肯定する意志作用と,真ではないもの,非実在的なものを肯定する意志作用は,同じだけの力potentiaを有するといわなければなりません。しかしこれは不条理に思えます。
 事物が実在するということはそれ自体が力なのであって,それが実在し得ないとするならそれは力と反対の意味で無能impotentiaといわれなければなりません。したがって,たとえば馬とペガサスを比較するなら,馬は力ですがペガサスは無能の筈なのです。ところがそれらが観念対象となったときに,馬を肯定する意志作用もペガサスを肯定する意志作用も同等の力があるというのはおかしいのではないでしょうか。実在的なものを肯定する意志作用,真なるものを肯定する意志作用が力であるというのは当然ですが,非実在的で無能な誤ったものを肯定してしまうような意志作用は,力というよりも逆の意味で無能といわれてしかるべきではないのでしょうか。これは当然の疑問だと思います。誤った観念あるいは混乱した観念でしかあり得ないような観念を肯定する意志作用は,果たしてどのような意味で無能ではなく力といい得るのでしょうか。
コメント
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