スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&グループホーム訪問

2019-10-25 18:48:47 | 将棋
 20日の午前に鶴林寺で指された第9回加古川青流戦決勝三番勝負第二局。
 服部慎一郎奨励会三段が先手で矢倉を目指すと後手の池永天志四段が急戦で対抗する将棋。銀と角がそれぞれ交換になる戦いとなりました。
                                        
 後手が4一の王を寄った局面。先手はと金作りを狙って☗9六角と打ちました。
 後手は6三の地点を受けるのではなく☖5一金と引きました。先手は当然の☗6三歩成で☖8二飛と逃げました。先手は部分的には重い形なのでその解消を目指して☗6四金。後手は当たりを避けるために☖3三銀と上がり,☗5三とのときに☖7五角と打ちました。
 と金を作られるのは後手にとって大きなマイナスで,それを相殺するだけのプラスがなければいけません。それを狙ったのがこの角打ちだったのではないかと思います。
 金取りですから☗5四金はこの一手。後手は☖3九銀と反撃。☗1八飛と左に逃げ☖4八銀不成に☗同飛と取りました。
 ここで攻めが繋がらないとと金を作られた代償はカバーできないのですが,後手は☖5七角成として☗5八銀に☖7五馬と逃げました。おそらく何らかの誤算があったのでしょう。しかしこれでは☗6六歩☖同馬☗5七銀打と固められ,先手の優位がはっきりしました。
                                        
 後手は馬を逃げるほかありませんが,☗4三ととされれば駒損が確定。結果的にいえばと金を作らせてはいけなかったということになるでしょう。
 服部三段が勝って1勝1敗。第三局は同日の午後に指されました。

 僕が初めてグループホームに行ったのは,通所施設とグループホームを見学した日でした。一昨年の11月14日のことです。このときは妹と,まだ存命中だった母も一緒でした。ただこのときは妹がそのときに通っていた小港の通所施設の職員が運転する自動車に同乗させてもらい,先に通所施設に行ってから,そのままグループホームへ行きました。ですから妹と一緒だったとはいっても,家からバスを利用したわけではありません。
 2度目は妹の生活用品をグループホームに搬入するときです。一昨年の12月19日でした。この日はバスで行ったのですが,同行したのは存命中だった母と,手伝いを依頼したKさんで,妹はその間は小港の通所施設で作業をしていましたから不在でした。
 3度目が,妹がこのグループホームに入所し,現在の通所施設に通うようになってから初めての日帰り旅行の日です。昨年の3月2日でした。日帰り旅行はグループホームからバスで出発し,グループホームに帰って来るという旅程になっていましたので,グループホームに迎えに行かなければならなかったのです。これを避けるため,僕はその後は,日帰り旅行の日の週末は,妹をグループホームで過ごさせるようにしたのです。日帰り旅行は金曜日と決まっているのです。そしてこのときは迎えに行ったのですから,妹と一緒に帰ったわけですが,行くときは当然ながらひとりでした。
 4度目は今年の1月18日です。このときはグループホームの利用者の中からインフルエンザの罹患者が出たため,利用者はユニット全体でグループホームで待機になりました。だからグループホームに妹を迎えに行ったのです。このときも迎えですから,僕がひとりで行き,妹と帰ったことになります。このとき,翌週の月曜もグループホームで待機になるだろうから,グループホームに送るように言われたのですが,当日の朝に電話があり,通所施設への出勤が可能になったので,そちらに送るようにとの連絡を受けました。ですからその日は当初は妹をグループホームに送るつもりだったのですが,実際はそうはならなかったのです。
 僕がグループホームに行ったのはこのときまではこれだけでした。
コメント
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