久留米競輪場で行われた昨日の熊本記念の決勝。並びは柴崎‐浅井の三重,松浦‐柏野の中国,門田-小川の四国,中本-中川の熊本で松谷は単騎。
小川がスタートを取って門田の前受け。3番手に中本,5番手に柴崎,7番手に松谷,8番手に松浦で周回。残り3周のバックから松浦が動き,残り2周のホームで門田を叩いて誘導が退避。これを柴崎が叩いてバックに入ると中本が外からかましていって打鐘。動いてきた門田はホームすぎのコーナーの入口で中川にブロックされましたが,立て直してバックに入ってからまた前に迫りました。その外を捲ってきたのが松浦。バックの半ばから中川が番手捲りを敢行。中川の後ろにいた柴崎は追うことができず,門田と松浦が競り合いながら中川を追う形に。中川はそのまま追ってきた両選手を寄せ付けずに快勝。踏み勝った松浦が4分の3車身差で2着。門田が半車身差で3着。
優勝した熊本の中川誠一郎選手は6月の高松宮記念杯以来の優勝。記念競輪は昨年の熊本記念以来の7勝目。GⅢは8勝目。熊本記念は2016年にも優勝していて連覇で3勝目。このレースは中本か門田の先行で,中本がすんなりと駆けられれば番手の中川が有利で,激しく先行争いをするようなら松浦が有望と予想していました。門田も抵抗はしたものの中本がそれを許さないような走りになったので,中川の方が展開有利になったというところでしょう。門田は3着ではありましたが,諦めることなく踏み続けてのもので,いいレースをしたと思います。
この保険代理店は,このときに電話を掛けてきた方の父親が経営していた店です。この時点では代替わりし,その方の息子さんが同じ資格の下に代理人としての交渉を行っていました。母は父親の方と個人的に親しく,その方を介して火災保険の契約を結んでいました。この時点では火災保険だけでしたが,母が小脳出血を起こす前にまだ自動車の運転をしていた頃は,自動車保険の契約もその方を通して締結していました。ですからその方は僕の家を訪問してくることも何度かあり,僕も顔は見知っていました。というか僕はその方がまだ代理人を続けていると思い込んでいて,代替わりしているということ自体をこのときの電話で知ったのです。
火災保険の契約者は母でした。母が生きていれば当然ながらそのまま新しい契約を締結したでしょう。先方はそのつもりで電話をかけてきました。つまり母が死んだということをまだ知らなかったのです。そこで僕はそのことを伝えました。母にはお世話になったので近いうちに訪問したいとのことでしたので,その日時だけを決めておき,保険の話などがあればそのときにすることとして,この晩はそれで電話を切りました。
5月9日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
5月10日,金曜日。妹の歯科検診のため,指定歯科であるみなと赤十字病院に行きました。この検診があったため,この週は金曜ではなく木曜に迎えに行ったのです。いつものようにクリーニングをしましたが,目立った汚れはないとのことでした。その後で,噛み合わせの調整という施術がありました。どうも噛むときに上下の歯が激しくぶつかってしまうようなので,それを避けるための施術であるという説明でした。ただし具体的にどのようなことをしたのかということは,僕にはよく分かりませんでした。
5月11日,土曜日。8日の夜に電話で話した保険代理店の方が午後3時半に来訪されました。焼香された後,火災保険の満期が6月5日であるという説明がありました。ですが新規の契約はしませんでした。というのは契約するなら僕が契約者にならなければなりませんが,家の名義変更に関してはまだ済んでいなかったからです。
小川がスタートを取って門田の前受け。3番手に中本,5番手に柴崎,7番手に松谷,8番手に松浦で周回。残り3周のバックから松浦が動き,残り2周のホームで門田を叩いて誘導が退避。これを柴崎が叩いてバックに入ると中本が外からかましていって打鐘。動いてきた門田はホームすぎのコーナーの入口で中川にブロックされましたが,立て直してバックに入ってからまた前に迫りました。その外を捲ってきたのが松浦。バックの半ばから中川が番手捲りを敢行。中川の後ろにいた柴崎は追うことができず,門田と松浦が競り合いながら中川を追う形に。中川はそのまま追ってきた両選手を寄せ付けずに快勝。踏み勝った松浦が4分の3車身差で2着。門田が半車身差で3着。
優勝した熊本の中川誠一郎選手は6月の高松宮記念杯以来の優勝。記念競輪は昨年の熊本記念以来の7勝目。GⅢは8勝目。熊本記念は2016年にも優勝していて連覇で3勝目。このレースは中本か門田の先行で,中本がすんなりと駆けられれば番手の中川が有利で,激しく先行争いをするようなら松浦が有望と予想していました。門田も抵抗はしたものの中本がそれを許さないような走りになったので,中川の方が展開有利になったというところでしょう。門田は3着ではありましたが,諦めることなく踏み続けてのもので,いいレースをしたと思います。
この保険代理店は,このときに電話を掛けてきた方の父親が経営していた店です。この時点では代替わりし,その方の息子さんが同じ資格の下に代理人としての交渉を行っていました。母は父親の方と個人的に親しく,その方を介して火災保険の契約を結んでいました。この時点では火災保険だけでしたが,母が小脳出血を起こす前にまだ自動車の運転をしていた頃は,自動車保険の契約もその方を通して締結していました。ですからその方は僕の家を訪問してくることも何度かあり,僕も顔は見知っていました。というか僕はその方がまだ代理人を続けていると思い込んでいて,代替わりしているということ自体をこのときの電話で知ったのです。
火災保険の契約者は母でした。母が生きていれば当然ながらそのまま新しい契約を締結したでしょう。先方はそのつもりで電話をかけてきました。つまり母が死んだということをまだ知らなかったのです。そこで僕はそのことを伝えました。母にはお世話になったので近いうちに訪問したいとのことでしたので,その日時だけを決めておき,保険の話などがあればそのときにすることとして,この晩はそれで電話を切りました。
5月9日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
5月10日,金曜日。妹の歯科検診のため,指定歯科であるみなと赤十字病院に行きました。この検診があったため,この週は金曜ではなく木曜に迎えに行ったのです。いつものようにクリーニングをしましたが,目立った汚れはないとのことでした。その後で,噛み合わせの調整という施術がありました。どうも噛むときに上下の歯が激しくぶつかってしまうようなので,それを避けるための施術であるという説明でした。ただし具体的にどのようなことをしたのかということは,僕にはよく分かりませんでした。
5月11日,土曜日。8日の夜に電話で話した保険代理店の方が午後3時半に来訪されました。焼香された後,火災保険の満期が6月5日であるという説明がありました。ですが新規の契約はしませんでした。というのは契約するなら僕が契約者にならなければなりませんが,家の名義変更に関してはまだ済んでいなかったからです。