ジャガー・横田にとって,リング上での最大のライバルはデビル・雅美でした。
デビルはジャガーよりも後輩です。ですがジャガーはデビルに対してはっきりとしたライバル意識を持っていて,また自分が生き延びることができたのはデビルに負けたくないという気持ちがあったからだといっています。一方でデビルは,ライバル意識を持っているのはジャガーだけで,自分にはそのような気持ちはないと言っていたそうです。ただ,ジャガーからみるとそれはポーズで,本当は自分に対してライバル意識を持っていたのにそれを見せないので腹が立ったこともあったとインタビューに答えています。
ただ,このライバル意識というのは,ジャガーとデビルとでは意味合いが違う筈です。なぜならジャガーはプロレスか女子プロレスかという区分では女子プロレス派であったのに対し,デビルはプロレス派だったからです。したがって,たとえばセメントでは負けたくないというライバル意識をジャガーはもつ要素がありますが,デビルはそのようなライバル意識を持つ要素がまったくないからです。デビルは1983年9月にWWWAタイトル戦をジャガーと戦い,この試合がセメントだった上に最後にレフェリーが介入したためデビルは怒り,引退騒動を起こしました。この件についてジャガーは,デビルがセメントで負けたためだという見方をしています。そしてそれをデビルのジャガーに対するライバル意識の根拠のひとつにしていますが,たぶんこれはジャガーの勘違いでしょう。デビルはそもそもタイトルマッチがセメントで行われること自体に疑問を持っていた筈で,それに対する怒りが発露したとみるのが自然だからです。
デビルは全日本女子プロレスを辞めた後,JWPで復帰しました。僕はジャガーはライブでは観ていないのですが,デビルはJWP時代に何度か観ています。
もうひとつの公理系の外部の認識cognitioは,いうまでもなく第三種の認識cognitio tertii generisです。実際は第二種の認識cognitio secundi generisが公理系の認識なので,第一種の認識cognitio primi generisも公理系の外部の認識であるといえますが,第二部定理四一から分かるように,第一種の認識は虚偽falsitasなので,それについては除外します。公理系の認識は真の認識であるということが前提されていますから,その外部の認識についても,それが虚偽であるならいくら公理系の外部の認識であったとしても無効あるいは無意味だからです。この定理Propositioでいわれているように,公理系の認識である第二種の認識と同じように,第三種の認識は真verumですから,ここでは第三種の認識だけを公理系の外部の認識であるとしておきます。
そこでもしも,第三種の認識によって『エチカ』の公理系の全体を認識するcognoscereことができると仮定すれば,ゲーデルの不完全性定理が本来的に意味しようとしているところは乗り越えられることになるでしょう。このことはおそらくだれしも是認しなければならないところだと思います。ただ,これは仮定の話で,実際にそういうことが可能であるとは僕は考えません。ですから第三種の認識について『エチカ』の内部で瑕疵がなく論証されているからといって,『エチカ』の公理系が不完全性定理から逃れているとは僕は考えないのです。
ただし一方で,僕は次のことは認めます。『エチカ』の公理系の全体を第三種の認識によって認識することは不可能であると僕は推測しますが,ある個別の定理だけを抽出すれば,第三種の認識によって認識することができるであろう定理はあると思うのです。たとえば,僕たちが実体substantiaと実体の変状substantiae affectioすなわち様態modiというのを,第一部定義三と第一部定義五で定義されているように十全に認識することができるなら,第一部定理一というのは別に論証Demonstratioを経ずとも僕たちは直観的に理解し得るでしょう。ただ,その前提となっている実体および実体の変状の定義Definitioについては,僕たちは第三種の認識によっては認識することができず,第二種の認識によって認識する必要があるというだけのことです。したがって,『エチカ』の中に第三種の認識によって認識できることは何もないとは僕は考えないです。
デビルはジャガーよりも後輩です。ですがジャガーはデビルに対してはっきりとしたライバル意識を持っていて,また自分が生き延びることができたのはデビルに負けたくないという気持ちがあったからだといっています。一方でデビルは,ライバル意識を持っているのはジャガーだけで,自分にはそのような気持ちはないと言っていたそうです。ただ,ジャガーからみるとそれはポーズで,本当は自分に対してライバル意識を持っていたのにそれを見せないので腹が立ったこともあったとインタビューに答えています。
ただ,このライバル意識というのは,ジャガーとデビルとでは意味合いが違う筈です。なぜならジャガーはプロレスか女子プロレスかという区分では女子プロレス派であったのに対し,デビルはプロレス派だったからです。したがって,たとえばセメントでは負けたくないというライバル意識をジャガーはもつ要素がありますが,デビルはそのようなライバル意識を持つ要素がまったくないからです。デビルは1983年9月にWWWAタイトル戦をジャガーと戦い,この試合がセメントだった上に最後にレフェリーが介入したためデビルは怒り,引退騒動を起こしました。この件についてジャガーは,デビルがセメントで負けたためだという見方をしています。そしてそれをデビルのジャガーに対するライバル意識の根拠のひとつにしていますが,たぶんこれはジャガーの勘違いでしょう。デビルはそもそもタイトルマッチがセメントで行われること自体に疑問を持っていた筈で,それに対する怒りが発露したとみるのが自然だからです。
デビルは全日本女子プロレスを辞めた後,JWPで復帰しました。僕はジャガーはライブでは観ていないのですが,デビルはJWP時代に何度か観ています。
もうひとつの公理系の外部の認識cognitioは,いうまでもなく第三種の認識cognitio tertii generisです。実際は第二種の認識cognitio secundi generisが公理系の認識なので,第一種の認識cognitio primi generisも公理系の外部の認識であるといえますが,第二部定理四一から分かるように,第一種の認識は虚偽falsitasなので,それについては除外します。公理系の認識は真の認識であるということが前提されていますから,その外部の認識についても,それが虚偽であるならいくら公理系の外部の認識であったとしても無効あるいは無意味だからです。この定理Propositioでいわれているように,公理系の認識である第二種の認識と同じように,第三種の認識は真verumですから,ここでは第三種の認識だけを公理系の外部の認識であるとしておきます。
そこでもしも,第三種の認識によって『エチカ』の公理系の全体を認識するcognoscereことができると仮定すれば,ゲーデルの不完全性定理が本来的に意味しようとしているところは乗り越えられることになるでしょう。このことはおそらくだれしも是認しなければならないところだと思います。ただ,これは仮定の話で,実際にそういうことが可能であるとは僕は考えません。ですから第三種の認識について『エチカ』の内部で瑕疵がなく論証されているからといって,『エチカ』の公理系が不完全性定理から逃れているとは僕は考えないのです。
ただし一方で,僕は次のことは認めます。『エチカ』の公理系の全体を第三種の認識によって認識することは不可能であると僕は推測しますが,ある個別の定理だけを抽出すれば,第三種の認識によって認識することができるであろう定理はあると思うのです。たとえば,僕たちが実体substantiaと実体の変状substantiae affectioすなわち様態modiというのを,第一部定義三と第一部定義五で定義されているように十全に認識することができるなら,第一部定理一というのは別に論証Demonstratioを経ずとも僕たちは直観的に理解し得るでしょう。ただ,その前提となっている実体および実体の変状の定義Definitioについては,僕たちは第三種の認識によっては認識することができず,第二種の認識によって認識する必要があるというだけのことです。したがって,『エチカ』の中に第三種の認識によって認識できることは何もないとは僕は考えないです。