スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&定義の問題

2019-08-09 19:24:37 | 将棋
 昨日から大濠公園能楽堂で指された第60期王位戦七番勝負第三局。
 豊島将之王位の先手で相矢倉。先手の攻めに木村一基九段が強気に対応する将棋に。接戦が続いていたのではないかと思います。
                                        
 後手が4六に桂馬を打ち,先手が5八の金を逃げた局面。ここで☖4四金右とすると角を捕獲でき,後手はそう指した方がよかったかもしれません。実戦は☖3八桂成☗5九飛の交換を入れてから☖4四金右と上がりました。
 ☗5七角と逃げると☖4八銀不成があるので☗同角☖同金は必然。そこで先手は☗7九王と早逃げしました。後手は☖4八成桂☗5六飛☖4七銀不成と攻めを継続。
                                        
 先手はここで小休止して☗1六飛と逃げておくべきで,それなら中盤の激戦が続いたように思います。実戦は☗4五歩☖同金☗3四銀と終盤の攻め合いにいったのですが,☖5六銀不成☗4三金☖4一玉☗4五銀不成☖同銀☗4四桂のときに☖6一銀と打たれて攻めが続かなくなってしまいました。
                                        
 第3図は大勢が決しているようです。
 木村九段が勝って1勝2敗。第四局は20日と21日です。

 僕は『エチカ』が全面的にゲーデルの不完全性定理から逃れることができているとは考えません。ですが,不完全性定理はどこまで有効であるのかとか,不完全性定理を無効とし得るような認識cognitioがどのようなものであり,かつそのような認識は人間にとって可能であるのかといった諸々の事柄を探求するときに,スピノザの哲学が有益であることは間違いないと思います。そしてまた,『エチカ』の公理系の内部には,論証Demonstratioを経ずとも十全に認識できる事柄が含まれているのであって,そのことの真理性に関しては,公理系の内部の証明によらずとも保証することができるとも考えます。
 これで不完全性定理とスピノザの哲学の間の関係性を巡る考察は終了です。そしてこれで,『主体の論理・概念の倫理』の中の,数学を巡る考察,とりわけカヴァイエスJean Cavaillèsに関連する考察も終了です。
 『主体の論理・概念の倫理』から,もうひとつ,別の点を考察というか検証しておきます。これは定義Definitioに関連する内容です。僕はスピノザの哲学において定義というものはどのようなものでなければならず,かつどのようなものであることが好ましいのかということを確定させてすべての考察を行っています。これから考察することは,その内容そのものと関係するわけではないのですが,僕が確定させている内容の信憑性を保証するために必要なものと思われるので,それについてここで説明しておきたいのです。
 鼎談の中で上野修は,スピノザは1662年頃に定義の理念を変更していると発言しています。これはどういう影響から定義の理念を変更したのかという主旨の発言であって,どのような理念からどのような理念へと変更したのかということをいおうとしてるものではありません。ただ,スピノザが定義に関してまとまった論述をしているのはそう多くありませんから,上野がどのような考えの下にこのような発言をしているのかは,容易に検証できる筈です。一方で,僕はスピノザがまとまった論述をしているもののすべてを踏まえた上で,定義の何たるかを確定させてますので,変更の有無や,変更されていたとしてその内容の変遷は,僕の定義論にとってはとても重大なのです。
コメント
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