スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アーバンナイトカーニバル&条件

2019-08-13 18:46:01 | 競輪
 川崎競輪場で争われた昨晩のアーバンナイトカーニバルの決勝。並びは山岸に五日市,鈴木‐大塚‐佐藤の南関東,伊藤‐藤木の近畿,片岡-加倉の西国。
 藤木と五日市がスタートを取りにいき,内の藤木が取り切って前受けは伊藤。3番手に山岸,5番手に鈴木,8番手に片岡で周回。残り3周のバックの出口から片岡が上昇開始。鈴木が後ろを追いました。ホームで片岡が伊藤を叩くと,コーナーで鈴木が片岡を叩いてバックへ。打鐘から片岡がまた発進し,鈴木と片岡で先行争い。制した片岡の先行に。ホームから山岸も発進し,先行体勢に入った片岡の前に出てバックへ。伊藤が外から捲ってきましたが,これは五日市に執拗に牽制されて最終コーナーで失速。そのまま粘った山岸が優勝。片岡に叩かれたものの加倉をどかし,バックでは五日市の後ろまで取りついて直線で山岸と五日市の中を割った鈴木が4分の3車輪差で2着。五日市が4分の3車輪差で3着。
 優勝した茨城の山岸佳太選手は6月のベイサイドナイトドリーム以来の優勝で記念競輪3勝目。川崎のGⅢは初優勝。ここはメンバーの中では脚力は最上位と思えましたので,優勝候補の最右翼とみていました。地元のふたりを連れた鈴木の出方が分かりませんでしたが,佐藤ではなく大塚が番手なので,二段駆けのようなレースにはなりにくそうで,その分も山岸には有利に作用したと思います。このレベルでは実力が上ということははっきりしたといっていいでしょう。もっと上を目指せる選手だと思います。

 『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』で創造されないもの,スピノザの哲学全体の中では能産的自然Natura Naturansに該当するものの定義Definitioを説明するとき,スピノザは,こうしたものの定義にはそのものの本性essentia以外には何も含まれてはいけないといっています。さらにもうひとつの条件として,そのものの定義が与えられたとき,それが存在するか否かという問題が生じてはならないということも挙げています。このふたつの条件を合わせれば,そのものの本性に存在が含まれていなければならないということになります。これは第一部定義一でいわれている自己原因causam suiです。ですからこれだけでみれば,創造されない事物は自己原因として定義されなければならないとスピノザはいっていると解することができます。
                                        
 スピノザの哲学の全体の中で定義の条件を考察する場合は,このような解釈が妥当です。これは『知性改善論』で示している条件を『エチカ』によって補っているということであり,すでにいったようにこのような探求は妥当であるというより必要であるからです。しかし,スピノザの哲学の全体を離れ,『知性改善論』のスピノザが何をいわんとしているのかということだけを考える場合には,この解釈は妥当ではないと僕は考えます。なぜならスピノザはこれらの条件を示す前に,創造されない事物の定義は,一切の原因を排除しなければならないという条件を与えていて,このことが,創造されない事物の定義にはそれ自身の本性以外の何も含まれていてはならないということと等置されているからです。
 スピノザの哲学における自己原因と原因の関係は,自己原因を原因の一種として解するべきではなく,原因は自己原因の一種であると解するべきであるというのが僕の考え方です。この考え方に従えば,創造されない事物が自己原因として定義されなければならないということと,創造されない事物の定義に原因は含まれていてはならないということが両立し得るように思えます。繰り返しになりますが,スピノザの哲学全体の中で定義の条件を考えるなら,このような解釈も間違ってはいないといえます。しかし実際にスピノザがここでいっているのは,このようなことではないと僕は考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする