スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フェブラリーステークス&第三部定理四九証明

2018-02-18 19:07:19 | 中央競馬
 大井から1頭が遠征してきた第35回フェブラリーステークス
 先手を奪ったのはニシケンモノノフ。2番手にケイティブレイブ。3番手にノボバカラとテイエムジンソクで5番手がララベル。この5頭が先行集団。4馬身ほど開いてベストウォーリアが6番手でその後ろにロンドンタウンとインカンテーション。また2馬身ほど開いてサンライズノヴァ。その後ろにアウォーディーとメイショウスミトモ。さらにレッツゴードンキとゴールドドリームが続き,後方にサウンドトゥルー,キングズガード,ノンコノユメの3頭。前半の800mが45秒8という超ハイペースになったこともあり,隊列は縦長になりました。
 直線手前でニシケンモノノフにケイティブレイブが並び掛け,直線に入ると先頭が入れ替わりました。しかし外からゴールドドリームの伸び脚が目立ちまず先頭に。追ってきたのは馬群を捌いてすぐ内から迫ったインカンテーションと,後方から大外を回ったノンコノユメ。ラストはこの3頭の争いになり,大外のノンコノユメが差し切って優勝。一旦は抜け出していたゴールドドリームがクビ差で2着。インカンテーションは及ばずクビ差の3着まで。
                                
 優勝したノンコノユメは前哨戦の根岸ステークスから連勝。大レースは2015年のジャパンダートダービー以来となる2勝目。それ以降も2016年の夏ごろまではそこそこ走っていたのですが,その後は低迷。しかし前走は58キロを背負いながらレコードタイムで優勝と復活の兆しをみせていて,ここも優勝候補の1頭とみていました。武器が末脚なので,展開によっては不発というケースもあるのですが,一時期の低迷は完全に脱したとみてよさそうです。ジャパンダートダービーを勝ったとはいえ,距離もあまり長くない方がよいのでしょう。今日は良馬場でしたが,馬場は悪くなった方が相対的には有利になるという馬だと思います。母の父はアグネスタキオン。3代母がビューパーダンス。祖母の4つ上の半姉に1995年に新潟大賞典と新潟記念を勝ったアイリッシュダンス
 騎乗した内田博幸騎手は一昨年の東京大賞典以来の大レース制覇。第26回以来9年ぶりのフェブラリーステークス2勝目。管理している加藤征弘調教師は2015年のジャパンダートダービー以来の大レース3勝目でフェブラリーステークスは初勝利。

 本題からは逸れますが,次のこともいっておきたいです。
 僕たちは与えられる害悪の大きさが同じなら,いい換えれば感じる悲しみtristitiaの程度が同じなら,自然に被害を与えられて自然を憎む場合より,他人に被害を受けて他人を憎む場合の方が,より強い憎しみodiumを抱きやすくなっています。これは害悪を受けるのが自分の場合であれ,第三部定理二二の例のような他者の悲しみに感情の模倣affectum imitatio,imitatio affectuumをする場合であれ同様です。これも必然的なメカニズムすなわち自然法則によってそうなっているのです。
 スピノザは第三部定理四九で,必然的なものに対する憎しみより自由なものへの憎しみが強いといっています。ここにはスピノザの哲学に沿った真の意味と,そこから外れた裏の意味が含まれていると僕は考えます。
 スピノザが必然というとき,僕たちの語彙からすればそれは必ずしも統一的でなく,みっつのパターンに分類できます。第三部定理四九でいわれている必然は,第一部定義七で強制といわれている場合の必然を意味します。これはこの定理Propositioでいわれている必然が,自由libertasと対置されていることから明らかだといわなければなりません。
 すると,自由の定義Definitioにより,自由なものはそれ自身の本性naturaによってのみ働きます。したがってその働きによってある人が害悪を受けた場合,つまり悲しみを感じた場合,その人はそのものの観念ideaだけを伴った悲しみを感じることになります。一方,強制されるものは,ほかから決定されて作用します。よってその作用によってある人が害悪を被る場合,つまり悲しみを感じる場合には,その人はそのものの観念だけを伴った悲しみを感じるのではなく,それにそのように作用させたほかのものの観念も伴った悲しみを感じることになります。仮定によれば悲しみの程度は同一です。したがって,自由なものの働きから受ける悲しみは,その悲しみの原因としての対象がすべてその自由なものに集中します。一方,強制されたものの作用によって感じる悲しみは,その悲しみの原因としての対象がいくつかに分散します。よって自由であるものに対する憎しみの方が,強制されたものに対する憎しみより,相対的に強くなるのです。
コメント
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