スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

読売新聞社杯全日本選抜競輪&勇気の錯覚

2018-02-12 19:06:44 | 競輪
 四日市競輪場で争われた第33回全日本選抜競輪の決勝。並びは吉沢‐平原の関東と古性‐村上義弘‐村上博幸‐椎木尾の近畿で新田と原田と山田が単騎。
 原田がスタートを取って前受け。2番手に新田,3番手に吉沢,5番手に山田,6番手に古性の周回。残り3周のバックから古性が上昇。吉沢が引いたので古性は新田の後ろに入り,7番手に吉沢,最後尾に山田で,2番手と3番手,6番手と7番手には間隔がある一列棒状に。残り2周のホームから古性が徐々に上昇していき,バックで原田を叩くと打鐘から全開で先行。椎木尾の後ろが内の原田と外の吉沢で併走になり,新田は平原の後ろで山田が最後尾という隊列に。ホームの出口から吉沢が発進していくとバックに入って村上義弘が番手から発進。平原も自力で出ていこうとしましたが村上博幸が牽制。しかし平原を追う形になった新田が大外を豪快に捲り切って優勝。村上義弘が1車身差で2着。村上博幸が1車輪差の3着で新田を追った山田が8分の1車輪差まで迫って4着。
 優勝した福島の新田祐大選手競輪祭以来の優勝でビッグ9勝目,GⅠは7勝目。全日本選抜競輪は初優勝。当地では2013年に記念競輪の優勝があります。このレースは4人で並んだ古性の先行が有力。ただ,吉沢も早めに仕掛けるでしょうし,村上義弘はあまり早くから番手発進するタイプではないので,一列棒状の最後尾にでもならない限り新田の捲りが届く公算が高いと考えていました。その見立て通りのレースになったのですが,無駄に動かないで平原の後ろでじっとしていたのがうまかったように思います。吉沢が仕掛けてそのスピードも使えた分,はっきりとした差をつけての優勝という結果になったのではないでしょうか。競技との関係でこの開催が競輪は今年の初出走だったのですが,今年も中心選手として君臨していきそうです。

 無知の人が排他的思想を有するようになると,排他的感情を抱いている相手に対して攻撃性が強化される要因として,以下の事情も作用していると考えられます。
 無知の人は自分が正しいと認識しています。これは善bonumという意味で正しく,真verumという意味でも正しいという二重の意味です。このために,自身に不安metusを抱かせる者,自身の希望spesを消滅させる者は誤っているみなします。これもまた,悪malumという意味で誤りであり,虚偽falsitasという意味での誤りであるという二重の意味をもちます。このとき,無知の人にとっては,排他的感情を抱く対象が,自身と同じように無知の人であるか,そうではなく自由の人homo liberであるのかということは関係ありません。自身が正しいと妄信している以上,相手が誤謬errorを犯しているかいないかということは,もはやその人にとっては無関係になってしまっているからです。
 このような状態に陥ったときに,無知の人は自分の希望を守るために,それを妨害すると表象するimaginari者のことを排斥しようとします。このことは単に,人間は喜びlaetitiaを希求し悲しみtristitiaを忌避しようとするという現実的本性actualis essentiaを有しているということから説明できます。したがってその希望を妨害する者と戦うこと,つまり攻撃することを是とするようになるのです。一般に排他的思想を抱く人は好戦的であり,平和を追求しないという傾向が顕著であるのは,このような仕組みになっているからです。そこでこうした無知の人は,希望を打ち砕く者と戦うことが勇気animositasであり,逃げ出すこと,より積極的にいえば平和的に融和を図ろうとすることを臆病であると錯覚するようになるのです。この勇気という感情affectusの錯覚が,無知の人を攻撃的にする要因のひとつであると僕は考えています。
                                
 スピノザによれば勇気とは,第三部定理五九備考に示されているように,「精神の強さfortitudo」という欲望cupiditasの一種で,能動的に自己の有esseを維持しようとする欲望です。すなわち第三部定理五九であるといわれている能動的な欲望のひとつです。したがって無知の人の勇気は正しい意味での勇気ではありません。それは確かに自己の有を維持しようとする欲望ではありますが,能動的ではなく受動的だからです。
コメント
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