スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&スピノザとクールバッハ

2015-11-10 19:10:02 | 将棋
 5日と6日に高野山の總持院で指された第28期竜王戦七番勝負第三局。
 渡辺明棋王の先手で糸谷哲郎竜王の一手損角換り1-Ⅰ。先手の棒銀に後手が問題提起するような序盤戦でした。
                         
 先手の銀が進出したところで普通はこれ以上の進出を阻止する△1四歩です。しかし受けずに△4四歩と指しました。先手は当然▲1五銀と進出。さすがにこのまま銀の交換は許せませんから△2二銀と引きました。角換り棒銀の定跡にはこういう受け方はあるので,ここまではそんなに驚きません。
 ▲2四歩△同歩▲同銀は当然の進行でしょう。ここは普通は△2三歩ですが,後手はここも受けずに△4二飛と回りました。先手が▲3六歩と突いたのでここでも△2三歩は打てたのですがやはり打たずに△6二王。先手がここで▲2三歩と打つと△3一銀と引きました。
                         
 もしも第2図のように進んで先手がうまくいかないのであれば,そもそも棒銀戦法とは何なのかということになりはしないでしょうか。つまりこの後手の指し方というのは,棒銀に対する対策というよりも,棒銀戦法そのものに対する問い掛けであるように僕には思えました。将棋は混戦の末に先手が勝ちましたので,後手の指し方が成功したとはいえませんが,提起された問題にきちんとした解答が与えられたともいえないような内容であったと思っています。
 渡辺棋王が勝って2勝1敗。第四局は19日と20日です。

 クールバッハ兄弟が逮捕される契機となった『暗闇で輝く光』では,アドリアンは神は実体以外の何ものでもなく,それは無限の属性によって構成され,そのうち思惟の属性と延長の属性だけが人間には知られていると主張したと,『ある哲学者の人生』ではされています。これはアドリアンとスピノザとの間で,神に関する哲学的対話があったことの証であるように僕には思えます。前半部分は第一部定義六に,後半部分は第二部公理五とそっくり同じであるといってもいいほどだからです。とりわけ,無限に多くの属性が存在すること,いい換えるなら思惟と延長以外にも属性が存在することをアドリアンが主張したとすれば,それは軽くみることができないと思います。「アルチュセール学派とスピノザ主義」を読む限り,スピノザの哲学の神と関係する形而上学のこの部分は,正確に理解できないケースが意外と多いのではないかと思われるからです。
 『宮廷人と異端者』でもクールバッハ兄弟について少しだけですが記述があります。そこではアドリアンが主張したことは,神が唯一であるということ,神が無限に多くの属性からなる永遠のものであるということであったとされています。これは第一部定理一四系一,第一部定理一九に一致しているといえるでしょう。
 ただしスチュアートは,スピノザとアドリアンの間で哲学的対話があったことや,アドリアンが『エチカ』の草稿を読んでいたとはせずに,『神,人間および人間の幸福に関する短論文』を読んでいたのだとしています。アドリアンがどのようにしてスピノザの哲学を深く知ることになったのかは,僕には分かりません。ただ,事実として間違いないのは,アドリアンもヤンもスピノザと会ったことがあるということです。ですからそのときに哲学および神学に関する対話があったと想定することも可能だということです。さらに,スピノザがフッデに送った3通の手紙の中には,現在の『エチカ』に記述されているのとほぼ同じ文言が見出せます。これらはいずれも1666年に送られたものですから,1668年に『エチカ』の草稿が部分的にではあれ存在していたとみなすことも可能です。
コメント
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