スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&モデル

2015-11-30 19:08:15 | 将棋
 28日に大阪で指された第5期女流王座戦五番勝負第三局。
 この将棋はまず先手の伊藤沙恵女流二段が寄せ損なったため相手玉を上部に逃がし,加藤桃子女流王座の必勝に近い局面になったと思うのですが同じように寄せ損なって先手玉も上部に逃走することに。その後も点数勝負でなくお互いが相手玉の寄せも視野に入れた指し方をしたために異例なほどの泥仕合になり,結果的に持将棋が成立しました。これは一局として完結し,1勝1敗1持将棋で第四局が来月11日に指されるとのことです。
 戦型は相矢倉☗3七銀☖6四角でした。最近の相居飛車で角換りが増加しているのはこの形で先手によい結果が出ないことが多くなっているため。その形をわざわざ選んだのですから,事前の研究があったものと思います。雀刺しに進みました。
                                 
 ここから先手が☗2五桂と跳ねて戦いが始まりました。後手は☖同銀と取って☗同銀に☖3七角成。先手は☗1四歩と突き☖同歩☗同銀。後手はそこで☖2七馬と取り☗1二歩のときに☖1八馬と飛車を取りました。先手は☗1一歩成の一手。
                                 
 このときに香車が1七にいると取られてしまいますが,1六なのでそれはなく,先手の工夫が生きていることになります。ここで☖3五歩と角筋を止めに出ましたが,普通に☗同歩と応接されて,明らかに先手の一手勝ちの手順に進みました。後手に別の手順が必要とされることが判明した一局だったといえるでしょう。

 前にもいいましたが,レーウェンフックAntoni von Leeuwenhookにも水準以上の技術があったのは間違いないので,フェルメールがカメラ・オブスキュラについて抱えていた問題を解決できたとしておかしくありません。もしもフェルメールの依頼が「少女」を描いた後にあったとしたら,それを解決したのはレーウェンフックにほかならず,フェルメールとスピノザが相識であったこと,ならびに「天文学者」のモデルがスピノザであるとするマルタンの推理は誤りだと僕は思います。
 「天文学者」のモデルに関しては諸説あるのですが,そのうちのひとつとして,それがレーウェンフックであるというものが『フェルメールとスピノザ』では紹介されています。ですがマルタンはこの説は否定しています。「天文学者」に描かれている人物とレーウェンフックは似ても似つかないからだそうです。マルタンは満足いくレンズを製作してくれたお礼として,その人物をモデルに「天文学者」が描かれたのだと考えていますから,モデルがレーウェンフックであることを否定することは,レンズの製作者がレーウェンフックであることを否定することに直結します。そしてこのモデルはレーウェンフックよりスピノザに酷似しているというのがマルタンの見解opinioなのです。
 「少女」を描いた時点でフェルメールがカメラ・オブスキュラを使用していたのはおそらく史実で,しかしこのレンズの性能がそれほどよくなかったというのは僕にも納得できる見解です。そして「天文学者」を描く時点で満足いくレンズを入手し,その製作者がモデルになり,そしてそれがスピノザであるとするなら,僕は「少女」を描いた直後にフェルメールはスピノザに協力を依頼したのでなければならないと考えます。同時に,フェルメールはレンズに関してはまずレーウェンフックに相談したし,レーウェンフックはそれに協力を惜しまなかったと考えます。このためにはマルタンの物語には無理があるので,作り直す必要があるでしょう。
 「少女」を描いた1667年の時点で,フェルメールはすでにレンズを使用していたのです。このレンズがレーウェンフックの協力によるものであるとしたらどうでしょうか。
コメント
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