スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神奈川新聞社賞ローレル賞&田舎

2015-11-18 19:41:05 | 地方競馬
 北海道から2頭,笠松から1頭が遠征してきた昨夜の第15回ローレル賞
                         
 好発はマックスガーデンで,主張すれば逃げられそうでしたがその気がなかったようです。外からモダンウーマンがハナにいき,スアデラが2番手でマーク。タワーオブクイーンが単独の3番手になり,控えたマックスガーデンは4番手。その後ろにシャイニーネームがつけました。前半の800mは51秒2のミドルペース。
 3コーナー前付近から前の2頭と3番手以降の差が開き始め,ここからは2頭のマッチレース。直線に入った辺りの手応えはスアデラの方がよいように僕には見えましたが,並ばれそうになってモダンウーマンはもう一伸び。ゴール前ではむしろ差を広げての逃げ切りで優勝。力尽きたスアデラは2馬身差の2着。9馬身差の3着争いもマッチレース。コーナーで内からマックスガーデンを交わして前に出ていたシャイニーネームを,ゴール前で再びマックスガーデンが交わして3着。シャイニーネームがクビ差で4着。
 優勝した北海道のモダンウーマンはここまで北海道重賞の2勝を含めて3勝。残りの3戦も2着。今年の北海道の2歳のレベルは高く,マックスガーデンと共に好勝負必至とみていました。1200mまでの経験しかなかったことと,左回りになることが課題でしたが,どちらも克服しました。おそらくスピードに優るタイプなので,重馬場になったのもプラスだったと思います。体重が大きく減っていたのは輸送の影響もあったでしょうが,前走は太め残りであったかもしれず,絞った分もあったかと思います。このまま川崎に転入するようなので,東京2歳優駿牝馬に出走することになるかと思われますが,有力馬でしょう。全日本2歳優駿で好走があってもおかしくないだけの力量はあると思います。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年と2001年のアンタレスステークス,2002年と2003年の平安ステークス,2003年のマーチステークスを勝ったスマートボーイ。祖母の半弟に2002年の阪神ジャンプステークスを勝ったミレニアムスズカ
 騎乗した北海道の阿部龍騎手は南関東重賞はこれが初勝利。管理している北海道の角川秀樹調教師はローレル賞初勝利。

 ライプニッツやフッデとスピノザの間の書簡の一部が,シュラーイエレスらの編集者の配慮によって,価値はあったのに掲載を見送られたのは確実視して間違いありません。だとすれば,ヨハネス・ファン・デル・メールとスピノザとの間の書簡にも,同じような事情があった可能性を完全には否定することができません。もちろん,ライプニッツやフッデは現在にも名を残している著名人であり,メールは正体も知れない人物であることに目を向ければ,編集者が配慮を示さなければならなかった蓋然性が薄いのは事実です。とはいえ可能性が0ではない以上,単に遺稿集の編集者の意向だけを根拠にして,メールからスピノザへの質問状はなかった,他面からいえばメールはスピノザに会って質問したと推測するのは不十分だと思われるかもしれません。よって今度は,確かにメールとスピノザは会ったと推定できることを,別の根拠から説明します。僕はマルタンの意見には賛同しませんが,『フェルメールとスピノザ』に示されているように,メールがフェルメールであるのなら、ふたりは確実に会ったと考えなければならないことになります。
 メールに送った書簡三十八の冒頭で,スピノザは,田舎で孤独な生活をしている間にいつか出された問題を考えたと書いています。ここでスピノザが田舎といっているのはフォールブルフのティードマンの家のことです。コンスタンティン別荘がごく近くにあったこの村が,辺鄙な田舎であるということは,ほかの書簡からも確定できます。たとえばオルデンブルクに宛てた書簡三十二の最後の部分には,この手紙は先週のうちに書き終えたのだけれども,悪天候の影響でハーグまで行くことができなかったから発送するのが遅れてしまったと書いてあります。道路の状況や交通事情が現代とは格段に違っていたことは考慮に入れなければなりませんが,フォールブルフというのは天候の影響を受ければ孤立してしまうような地だったことになります。この書簡でもスピノザは田舎に住むとこのような不便が多く生じるといっています。つまりメールへの手紙でスピノザが田舎といっているのは,このような意味においてです。
コメント
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