先月の3日に霧島ファクトリーガーデンで指され,14日に放映された第37期女流王将戦三番勝負第一局。それまでの対戦成績は香川愛生女流王将が2勝,里見香奈女流名人が2勝。
振駒で里見名人の先手。3手目に▲2六歩と居飛車を明示すると後手は4手目に△7四歩と突いて袖飛車に。力将棋になりました。たぶん先手が仕掛けたところでの後手の対応が拙く,早い段階から先手が優位に立っていたものと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d5/33331fa4c21864905d9c6eeedb4b2f90.png)
先手が前に飛車頭に打った歩を後手が取った局面。この銀は腰掛銀から5五に出たのが引いてきたもので,退却を余儀なくされている後手がすでに苦戦といえるでしょう。
先手は▲5六角と狙いの角を打ちました。このまま▲2三歩成とされてはいけないので格言通りの△3四歩。これは取らずに▲2三歩成としました。
銀で取ると▲2四歩と打たれて1二に引かなければならないので△同金。今度は▲6五角と出て桂取り。後手は△3五歩▲同銀△2七歩▲同飛△4七歩成とし,▲同角と取らせることによって回避。苦心の手順ですが,このあたりは離されずについていったのではないでしょうか。
ここから△7六歩▲同銀と形を乱してまた△4六歩と打ったのですが,▲6五角と出られたときに△1三桂と逃げたために▲4六銀と引かれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/a3/bcaa2efdb442aae14b5cd810b165e6d4.png)
実戦のように指したのなら,4六の歩は後手が逆転するための唯一の手掛かりだった筈。それを払われてしまった第2図は大差になっているといえそうです。典型的なじり貧負けの順を選んだ結果になり,明確な終盤に至らぬまま後手の投了となりました。
里見女流名人が先勝。第二局は21日の放映です。
『暗闇で輝く光』を印刷所に持ち込んだヤン・クールバッハは,この本を発行することについてヨハン・デ・ウィットの許可を得ているという説得をエーデにしたと『ある哲学者の人生』にはあります。そのこと自体は出任せでした。ただ,そのように言ったとすれば,クールバッハ兄弟はウィットのような議会派の政治家は自分たちの味方であると思っていたのかもしれません。それに対してナドラーは,スピノザにはそのような幻想はなかったのだとしています。スピノザとデ・ウィットは思想的には隔たりがあるということ,かつウィットにとって最も重要だったのは,国内の安定であり,それを大きく崩してまで思想や言論の自由を守ろうとはしないということがスピノザには理解できていて,だからスピノザは『神学・政治論』を匿名で,しかもラテン語で出版したのだというのがナドラーの説明の大意です。
スピノザは哲学する自由を守ろうとしました。そしてクールバッハ兄弟は知った仲でした。だからアドリアンが出版したことで罪に問われ,獄死したこと自体は苦々しく思っていたことでしょう。ことによるとそのこと自体が,スピノザに『神学・政治論』の出版を決意させたと解することができないわけではありません。確かにその内容は,宗教的な理由によって著者が罰せられることへの批判を含んでいるからです。とりわけ第19章は,政治に口出ししようとするプロテスタントの牧師たちへの批判という観点と絡めずに理解することは難しいように思えます。
一方でスピノザは,主権者が騒乱を防止するということにも理解がなかったわけではありません。そのために定められた法規には国民は従わなければならないと主張しているからです。そしてこの点から察すると,『神学・政治論』を匿名のラテン語で出版したこと,そしてその蘭訳を望まなかったことについて,スピノザ独自の見解ではなく,デ・ウィットやフッデといった,実際に政治に携わっていた人たちからの助言があったと仮定することもできます。イエレスへの書簡で知人たちも望まないというとき,そうした政治家を知人というなら,蘭訳自体を望まないと解せる余地が生まれます。
振駒で里見名人の先手。3手目に▲2六歩と居飛車を明示すると後手は4手目に△7四歩と突いて袖飛車に。力将棋になりました。たぶん先手が仕掛けたところでの後手の対応が拙く,早い段階から先手が優位に立っていたものと思われます。
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先手が前に飛車頭に打った歩を後手が取った局面。この銀は腰掛銀から5五に出たのが引いてきたもので,退却を余儀なくされている後手がすでに苦戦といえるでしょう。
先手は▲5六角と狙いの角を打ちました。このまま▲2三歩成とされてはいけないので格言通りの△3四歩。これは取らずに▲2三歩成としました。
銀で取ると▲2四歩と打たれて1二に引かなければならないので△同金。今度は▲6五角と出て桂取り。後手は△3五歩▲同銀△2七歩▲同飛△4七歩成とし,▲同角と取らせることによって回避。苦心の手順ですが,このあたりは離されずについていったのではないでしょうか。
ここから△7六歩▲同銀と形を乱してまた△4六歩と打ったのですが,▲6五角と出られたときに△1三桂と逃げたために▲4六銀と引かれました。
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実戦のように指したのなら,4六の歩は後手が逆転するための唯一の手掛かりだった筈。それを払われてしまった第2図は大差になっているといえそうです。典型的なじり貧負けの順を選んだ結果になり,明確な終盤に至らぬまま後手の投了となりました。
里見女流名人が先勝。第二局は21日の放映です。
『暗闇で輝く光』を印刷所に持ち込んだヤン・クールバッハは,この本を発行することについてヨハン・デ・ウィットの許可を得ているという説得をエーデにしたと『ある哲学者の人生』にはあります。そのこと自体は出任せでした。ただ,そのように言ったとすれば,クールバッハ兄弟はウィットのような議会派の政治家は自分たちの味方であると思っていたのかもしれません。それに対してナドラーは,スピノザにはそのような幻想はなかったのだとしています。スピノザとデ・ウィットは思想的には隔たりがあるということ,かつウィットにとって最も重要だったのは,国内の安定であり,それを大きく崩してまで思想や言論の自由を守ろうとはしないということがスピノザには理解できていて,だからスピノザは『神学・政治論』を匿名で,しかもラテン語で出版したのだというのがナドラーの説明の大意です。
スピノザは哲学する自由を守ろうとしました。そしてクールバッハ兄弟は知った仲でした。だからアドリアンが出版したことで罪に問われ,獄死したこと自体は苦々しく思っていたことでしょう。ことによるとそのこと自体が,スピノザに『神学・政治論』の出版を決意させたと解することができないわけではありません。確かにその内容は,宗教的な理由によって著者が罰せられることへの批判を含んでいるからです。とりわけ第19章は,政治に口出ししようとするプロテスタントの牧師たちへの批判という観点と絡めずに理解することは難しいように思えます。
一方でスピノザは,主権者が騒乱を防止するということにも理解がなかったわけではありません。そのために定められた法規には国民は従わなければならないと主張しているからです。そしてこの点から察すると,『神学・政治論』を匿名のラテン語で出版したこと,そしてその蘭訳を望まなかったことについて,スピノザ独自の見解ではなく,デ・ウィットやフッデといった,実際に政治に携わっていた人たちからの助言があったと仮定することもできます。イエレスへの書簡で知人たちも望まないというとき,そうした政治家を知人というなら,蘭訳自体を望まないと解せる余地が生まれます。