スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典JBCスプリント&ホイヘンスとフッデ

2015-11-04 19:18:02 | 地方競馬
 今年は大井競馬場の1200mで実施された昨日の第15回JBCスプリント。ベストウォーリアは福永騎手から川田騎手に変更。
 発走後の加速力に差があったという感じでコーリンベリーの逃げに。追ったのはタガノジンガロ,ダノンレジェンド,ポアゾンブラックの3頭。好位を占めたのがベストウォーリア,サトノタイガー,ノーザンリバーの3頭。最初の600mは34秒7でミドルペース。
 道中でポアゾンブラックが単独の2番手に上がるシーンがあったため,ダノンレジェンドはコーナーではポアゾンブラックの外を追い上げる形になり,4コーナーで2番手は最内のタガノジンガロも含めた3頭の雁行。ダノンレジェンドはこの争いからは抜け出して前を追いましたが,逃げたコーリンベリーに並ぶところまではいかず,逃げ切ったコーリンベリーの優勝。ダノンレジェンドが4分の3馬身差で2着。馬群の中から伸びてきたベストウォーリアが2馬身差で3着。
 優勝したコーリンベリーは5月のかきつばた記念以来の勝利で大レース初制覇。100mもいかないところで逃げの態勢を取れたのが最大の勝因と思います。不良馬場でスピード力が生きた上,さほどきついペースにならず,恵まれた部分があったのも確か。ただ2着馬はこの路線でずっと上位で戦ってきた馬ですから,高く評価しなければならないと思います。1400mで良績が目立っていましたが,マイラーよりはスプリンタータイプであることがはっきりしたといえそうです。父は第3回を制したサウスヴィグラスで父娘制覇。曾祖母の半弟に1994年の福島記念を勝ったシルクグレイッシュ
 騎乗した松山弘平騎手はデビューから6年8ヶ月で大レース初勝利。前走まで管理していた調教師が先月20日に廃業したため管理することになった小野次郎調教師は開業4年8ヶ月で重賞初制覇となる大レース初勝利。
 先行して見せ場は作った兵庫のタガノジンガロは入線後に急性心不全で死亡しました。

 フッデに関する言及は政治家の立場に関連するものが目立ちますが,最初に名をなしたのは自然科学の分野でした。ですからレーウェンフックケルクリング,ホイヘンスがそうであったように,フッデもレンズを磨いていたのです。ライプニッツからスピノザに宛てられた書簡から分かるように,フッデはこの方面でも高名でした。
                         
 『人と思想 スピノザ』では,レンズの製作に関して,フッデは研究仲間であったホイヘンスよりスピノザと意見が合っていたとされています。工藤はスピノザは自然科学の分野では素人の域を出ていなかったと考えていて,ロバート・ボイルとの議論を,科学実験に限定して解するなら,僕もそうであったと思います。つまり工藤がいっているのは,一流の自然科学者であったホイヘンスより,素人にすぎなかったスピノザと,レンズ製作の分野ではフッデは意見が合ったということです。
 スピノザからみたとき,レンズ製作に関して,ホイヘンスよりフッデを高く評価していた,あるいは一目置いていたのは間違いない事実でしょう。スピノザがアドバイスを求めたのはフッデでしたし,ホイヘンスがレンズを研磨する器械を製作した際には,それでどんな成果を得たか知らないし,知りたいとも思わないという,辛辣とも思えることをオルデンブルクに報告しているからです。スピノザによれば球面レンズの研磨には器械より人の手の方が有益だったのであり,これはその技術に対してホイヘンスにあまり信頼を置いていなかったことの証であるように思えます。
 フッデからみた場合にもスピノザと同じようなことがいえるのかどうかは僕には分かりません。ただ,おそらく間違いのない事実としてあるのは,フッデもまたケルクリングやホイヘンスと同じように,スピノザが研磨したレンズを自身の研究のために生かしていたということです。工藤によれば,パリに移住したホイヘンスが弟にスピノザの動向を知らせることを依頼した手紙には,スピノザがフッデのためにどんなレンズを製作したかの調査が含まれていたとのことです。これはホイヘンスがフッデをライバルとみなしていたことの証明でもあるでしょう。
コメント
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