スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

勝島王冠&協力

2015-11-26 19:14:26 | 地方競馬
 昨晩の第7回勝島王冠。中野省吾騎手が月曜のレースで落馬して骨折したのでカキツバタロイヤルは内田利雄騎手に変更。
 大外でしたがそんなに無理した感もなくトーセンアドミラルが1コーナーで単独のハナへ。向正面に入ったところで行きたがるのを押さえつつムサシキングオーが単独の2番手。3番手にファイヤープリンスで以下アウトジェネラル,スマートジョーカー,ファルコンクロウとほぼ一列の隊列に。最初の800mは51秒0のミドルペース。
 3コーナーを回るとムサシキングオーがトーセンアドミラルを交わして先頭に。ファイヤープリンスと向正面のうちに後ろから追い上げていたガンマーバーストの2頭がその外を追い上げ,これらをやり過ごしてから進出したファルコンクローがさらにその外。アウトジェネラルは食い下がろうとするトーセンアドミラルとムサシキングオーの間を突きました。直線に入って先頭に立つムサシキングオーに迫ったのは大外のファルコンクロー。しかし並ぼうかというところからムサシキングオーがもう一伸び。ゴール前は逆に差を広げて2馬身半差で完勝。軽量を生かしたファルコンクローが2着。アウトジェネラルが1馬身4分の3差で3着。
 優勝したムサシキングオーは南関東重賞初制覇。A2下やオープンではそこそこ走っていた馬ですが,この秋になって明らかに一皮剥けた感があり,ここも好走必至と思われました。今日のレースの感じからも距離は1600mの方がよいでしょう。力をつけているので今後の南関東重賞戦線でも注目馬と思いますが,大井でしか走った経験がありませんので,ほかの競馬場で同じように力を発揮できるかは課題として残っています。父はキングヘイロー。叔父に2005年の目黒記念を勝ったオペラシチー
 騎乗した大井の笹川翼騎手はデビューから2年8ヶ月弱で南関東重賞初制覇。管理している栗田泰昌調教師は勝島王冠初勝利。

 レーウェンフックはただ研究をしていただけでなく,「豚のロケーション」でデルフト詣でと記述されているように,多くの来客との会見もあったと推測され,かなり多忙な人物であったと思われます。ですがフェルメールがカメラ・オブスキュラのレンズで問題を抱え,その相談を受けたなら,それには時間を作って協力した筈だと僕は考えます。
                                
 この根拠のひとつは,レーウェンフックとフェルメールは親友といえる関係にあったと推定できることです。単に時間がないということで,親友の依頼を無碍に断ることはしないだろうと僕は考えるのです。
 もうひとつの根拠はこの関係を考慮に入れなくても成立します。レーウェンフックは一級の顕微鏡学者でした。この時代の自然科学者は,研究用の道具を自ら作製あるいは入手するという意味も含んでいました。顕微鏡学にはレンズが必須で,レーウェンフックも自分でガラスを磨いていたのです。それも含めて一級の顕微鏡学者であったと考えなければなりません。ですから,レンズのことで相談を受けて,それに対して何の協力もしないということは,顕微鏡学者としてのレーウェンフックのプライドを自ら傷付けるような行為であることになります。何もせずに断ったとしたら,何もできないから断ったと認識されかねず,それは顕微鏡学者として大したことはないという評価に直結してしまうでしょう。この意味において,レーウェンフックはこの種の相談ないしは依頼に協力しないわけにはいかなかったと僕は考えるのです。
 レーウェンフックのレンズ製作の技術がどの程度のものであったかは僕には分かりません。ただ,ケルクリングフッデ,ホイヘンスといった研究者のスピノザに対する評価を勘案したならば,スピノザの腕の方が上であったと解しておいた方が安全ではあるでしょう。とはいえレーウェンフックも自身で幾多の顕微鏡を製作した人物です。なので水準以上の技術は有していたと判断するべきだと思います。ですから,フェルメールの依頼に応じたレーウェンフックの協力により,フェルメールは満足できるレンズを入手することができたという可能性は大いにあると僕は考えます。
コメント
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