スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ハイセイコー記念&第一部定理一八証明

2011-10-12 20:45:25 | 地方競馬
 全日本2歳優駿のトライアルに設定されている第44回ハイセイコー記念
 好発はツクバワンでしたが,枠順の関係もあって先手を奪うには至らず。内からメッシが逃げることになり,その外にドラゴンシップ。インにアイキャンディが控え,その外がガトリング。オゼキングも上がってツクバワンはその後ろに。最初の800mは50秒5。メッシはかなり抑えているように見えましたが,ミドルペース。
 2コーナーでガトリングが外から3番手となり,そのまま3コーナー。ここからドラゴンシップが外からメッシに並び掛け,ガトリングがさらにその外に行って3頭が雁行。直線に入るとほどなくメッシが一杯。さらにガトリングも力尽き,追い上げてきたのは外からダイヤモンドダンスで,内からは一旦は控える形になったアイキャンディ。迫ってはきたのですが,頑張ったドラゴンシップが優勝。アイキャンディが2着で3着にダイヤモンドダンス。
 優勝したドラゴンシップは7月に新馬を勝った後,2着,3着。前走が大井への遠征で,その経験が生きたといえそう。ここは主戦の戸崎騎手がガトリングに乗っていましたが,牝馬ながら果敢に挑戦してきて正解だったということでしょう。東京2歳優駿牝馬に進むのであれば,そこでも有力だろうと思います。父はクロフネ。曾祖母はクイーンカップを勝ち,エリザベス女王杯ではメジロラモーヌの2着になったスーパーショット
 お鉢が回ってきた大井の御神本訓史[みかもとのりふみ]騎手は3月の東京スプリング盃以来の南関東重賞制覇でハイセイコー記念は初勝利。管理している船橋の川島正行調教師2008年以来の2勝目です。

 第一部定理一八は,単にそれを名目的に理解するだけであれば,第一部定理一五から帰結していると僕は考えます。なぜなら,存在するものがすべて神のうちにあるということのうちには,存在するものすべてに対して神は内在的原因であるという意味が含まれていると思うからです。もちろん第一部定理一八のうちには,神やあらゆるものが実在するということがそれ自体では含まれていないと考えることが可能であると思いますが,上述の事柄に第一部定理一一第一部定理一六を加えるならば,第一部定理一八の実在的意味も完全に保証することができると考えます。
 よって第一部定理一八はこれだけで証明されていると僕は考えるのですが,『エチカ』におけるスピノザの証明は,これは定理の前半部分,すなわち神は内在的原因であるということの証明であり,後半部分,つまり神は超越的原因ではないということの証明ではないとして,さらに第一部定理一四を援用しています。僕からいわせればこの部分は余分です。なぜなら神が内在的原因であるということのうちには,すでに超越的原因ではないということが含まれていると思うからです。
 しかし,スピノザがわざわざそうした余計と思える事柄もここで証明したことには,理由を見出すことができます。つまり実在する実体が神だけであって,その神が内在的原因であるのであれば,単に神が超越的原因ではないということだけでなく,自然のうちにはいかなる超越的原因も存在しないということが証明できるからです。これはたとえば第一部定理一に訴えれば必然的に帰結するといえるでしょう。
 つまり,第一部定理一八は,単に神が内在的原因であるということだけでなく,自然のうちにはいかなる超越的原因も存在しないということを同時に示しているといえます。したがってここではあらゆる超越論的思考が斥けられているのだと考えることが可能だと僕は理解します。よって第一部定理一八というのは,スピノザが自分自身の哲学は徹底した内在の哲学であって,超越論を完全に否定するということを宣言しているような定理であると僕は考えます。
コメント
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