スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&第三部定義二まとめ③

2011-10-31 19:42:17 | 将棋
 午前中の対局で1勝1敗となったのを受け,一昨日の午後に指されることになった第1回加古川青流戦決勝三番勝負第三局。
 振駒で船江恒平四段の先手となり,宮本広志奨励会三段の一手損角換り2に進んだのですが,何とも不可思議な序盤戦でした。
                         
 後手が向飛車を明示したところ。▲6五角に△7四角と合わせ,▲同角△同歩に▲7五歩。取ると再び▲6五角とされて困るので△7ニ飛と戻りました。しかし手損して角を交換した上にここでまた手損をするのでは割に合わない気がします。この作戦はあまりうまくいかないということなのかもしれません。
 将棋は途中で後手の攻めが切れてしまい大差に。手数は長くなりましたが先手の快勝でした。
 プロの意地を見せた船江四段の優勝。加古川市の出身ということもあり,ただの公式戦初優勝以上の喜びがあったものと思います。第1回ですから,今後のこの棋戦の位置付けあるいは格付けがどうなるかも船江四段次第。今後の躍進に期待します。

 続いてマシュレと僕との間で一致を図ることができる点として,人間の精神の受動の場合を採り上げました。ここでも訴訟過程に差異はあるのですが,第二部定理二九備考からして,この差異は問題とはなりません。
 これでマシュレと僕との相違点が明確になりました。ひとつはそれが人間の精神による純粋な思惟作用であると考えられる場合に,混乱した観念がその人間の精神のうちに発生してしまうという場合であり,もうひとつはそれとは逆に,それが人間の精神による純粋な思惟作用であるといい難いのに,十全な観念がその人間の精神のうちに発生するという場合です。
 しかし,このうち第一の場合というのはスピノザの哲学では生じないということになっていますので,実際には相違はありません。このことはマシュレも首肯するところだと思います。したがって実際のマシュレと僕との相違の在処というのは,第二の場合にあるということになります。そして確かにこの場合は現実的に生じると考えられます。スピノザによる共通概念の獲得の説明というのは,まさにそうした仕方でなされているとしか考えられないのです。そしてこの場合には,マシュレと僕とがどんなに歩み寄ったとしても,最終的には埋まらないものと思われます。
 第二部定理三九証明からして,僕はこれを共通概念を獲得する人間の精神の純粋な思惟作用であるとはいえないということは認めます。しかし一方で,いかにこれがこの人間の精神のうちで自己完結しているとはいえないような思惟作用であったとしても,そこで示されていることは,共通概念がそれを獲得する人間の精神のうちだけで十全な観念であるということです。このことはマシュレも否定することはできない筈です。だからマシュレはこれを能動にも受動にも属さないような思惟作用と規定するでしょうが,僕はあくまでもこれをこの人間の精神の能動であると考えます。その理由のひとつは,もちろん共通概念が十全な観念であるという点にあるのですが,もうひとつは,スピノザの哲学の実践的な側面からして,何が能動であり何が受動ないしは反動であるかを,はっきりと確定させるべきであると考えるからです。
 このテーマはこれで終了。次回からは糖尿病共生記です。
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