スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

新人王戦&発生と十全な観念

2011-10-05 20:31:20 | 将棋
 東西を代表するといっていいであろう若手同士の対戦となった第42回新人王戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は佐藤天彦六段が1勝,豊島将之六段が4勝。
 振駒で佐藤六段の先手。豊島六段の横歩取り8五飛-4一玉型。先手が新山崎流で対抗し,定跡通りの展開。昼食休憩後に後手が研究手を出しました(第1図)。
                          
 新山崎流は後手が苦しいとされ,このために最近は8五飛-4一玉型があまり指されていなかったのですが,この局面になると後手もかなり戦えるようです。一本道ではなかった筈ですが,この将棋はここから全面的な戦闘となってしまい,明快に後手が勝ちの将棋になりました。
 研究がうまく決まって豊島六段が先勝。第二局は11日です。

 このように円が定義されたならば,この定義から円の特質が必然的に帰結することになります。すなわちすでに円の特質として,その中心から円周に向って引かれたすべての直線の長さが等しくなるということを呈示していますが,このことは,片側の端が固定し,もう一方の端が運動することによって形成される平面上の図形という円の定義から明瞭に導かれるからです。
 これと同じことが,円の場合よりも以前に検討した球の場合にも成立しています。すなわち,その中心から面の上のあらゆる点までの距離が等しいということは,球のひとつの特質であるわけですが,この特質というのは,球の観念の発生を含むような定義,すなわち半円がその直径を軸として一回転することによって形作られる図形という定義から,明瞭に導かれるということになります。
 そこでこうしたふたつの条件が,すべての定義に適用されなければならないということになります。いい換えれば,すべての定義はその定義から定義された事物の特質のすべてが明瞭に帰結するのでなくてはなりません。そしてそのためには,定義は定義される事物の本性を余すところなく表現しなければなりません。そして最後に,それが事物の本性を十全に表現するためには,その事物の発生がそこに含まれていなければならないのです。
 よって,事物の定義が認識されるものであると考えたときに,その認識こそがその事物の十全な観念であるのだとすれば,このことから,すべての十全な観念はその観念の対象ideatumの発生を,最低限でも名目的には含んでいるということが結論されることになるでしょう。すなわち少なくともスピノザの哲学において十全な観念というのはそうした観念でなければならないということが含まれていると僕は考えます。そしてこのことは,スピノザが十全な観念と真の観念とをわざわざ分けて考える理由のひとつであると僕は思いますが,これは現在の考察には関係しませんから,これ以上の言及は控えます。
 『知性改善論』におけるスピノザによる定義の説明はさらに続いていますが,これ以上はここでの探求には不要ですのでここまでとします。もしも興味がおありでしたら,『知性改善論』をお読みください。
コメント
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