スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

銀河戦&相違点

2011-10-08 19:07:59 | 将棋
 先月末に放映された第19回銀河戦決勝。駒を進めてきたのは渡辺明竜王と糸谷哲郎五段で,対局日は8月26日。その時点での対戦成績は1勝1敗。
 糸谷五段の先手で角換り相腰掛銀。先手の4筋位取りに後手が6筋位取りで対抗。先手が4八に飛車を回り,4六に角を打ったところで後手が4筋を逆襲して位を取り返すと,先手はその代償に7筋の位を取って力将棋に。駒組の後,先手が1筋で香車を捨てて入手した1歩を使うという筋で仕掛け,これが機敏だったようで優位に立ちました。
                         
 ここで▲8八玉と入っても,後手からそうも有力な手段があったわけではなく,その方が先手は勝ちやすかったかもしれません。実戦は▲5五香と打って勝ちにいきましたが,これが混戦の素になったように思います。第2図に進みました。
                         
 ここは▲8二飛と打ち,△4一歩なら▲4四香といった具合に攻めていくのが有力と思っていましたが,▲5一飛とこちらに打ち,△4一金打に▲5四飛成と銀を取りました。後手が△4七成銀と取り返したのに▲2四歩。対して△7六桂が入ったのが大きなところ。▲2三歩成△同王▲2四歩△1四王に▲5九角と打ちました。僕はこの手はまったく思いつきませんでしたが,渡辺竜王も解説の郷田真隆九段も好手と評していて,糸谷五段が才能をみせたところ。△2九飛と打って第3図。
                         
 ここで▲3四龍とすれば後手玉はほぼ受けなし。対して先手玉は詰みません。ただ△8八銀▲同金△6八桂成▲同玉△5九飛成▲同玉△4八角▲6八玉△5七成銀▲7七玉△6七成銀ときたときに,上に逃げると8五に出たときに△5二角,取って下に逃げると4九に来ると△1六角という王手龍取りの筋があり,これが読み切れなかったので第3図で▲2六香と打ちました。ただこの先は先手に勝ちがなかったようです。
 逆転で渡辺竜王の優勝。第15回以来となる3度めの銀河戦優勝でした。

 ここまで,どういった具体的な人間の精神による事物の認識についてそれを能動とみなしまた受動とみなすのかということについて,その根拠の相違はどうあれ,マシュレと僕との間で一致が図れるかを検討してきました。そしてこの検討の結果として,どういった場合には一致が図れなくなるのかということも,同時に明らかにすることができたのではないかと僕は思っています。
 なぜなら,ある人間の精神の思惟作用に関して,それが純粋な思惟作用とみなし得るならばマシュレはそれを能動と規定し,この条件から反するものに関してはすべて受動と規定することになるとしてみます。一方,僕はそれがこの思惟作用が十全な観念であるならそれを能動と考え,混乱した観念である場合には受動と考えるのです。そこで,もしもそれが人間の精神による純粋な思惟作用とみなし得る場合には必然的に十全な観念が発生し,そうでない場合には必然的に混乱した観念が発生するのであれば,実のところマシュレと僕との間には何らの相違も存在しないということになります。したがって,もしもマシュレと僕との間で,人間の精神の能動と受動に関して,一致をみることができなくなってしまう場合があるとしたら,それは以下のふたつの場合に限られるということになります。
 第一の場合は,明らかにそれがその人間の精神の純粋な思惟作用であると考えられる場合に,この結果として混乱した観念が発生するという場合です。この場合,マシュレはこれを人間の精神の能動と規定するでしょうが,僕は受動であると判断するということになります。
 第二の場合は第一の場合と逆の場合です。つまりその思惟作用がそれをなす人間の精神の純粋な思惟作用とは考えられないような内容を有している場合に,結果として十全な観念がこの人間の精神のうちに発生するような場合です。僕はこの場合にはこれを能動と判断することになります。マシュレはこの場合にはこれを受動と判断するとは必ずしもいえませんが,少なくともこれをこの人間の精神の能動であるとは規定しないであろうことは確かに思えます。たぶんこの場合にはマシュレはこれを自身の立場から,能動でも受動でもないような思惟作用であると考えるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする