スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドラール賞&精神の受動

2011-10-06 19:09:21 | 海外競馬
 ニエユ賞で結果が出なかったナカヤマナイトは凱旋門賞への出走は断念。現地時間でその前日の1日に行われたドラール賞GⅡ芝1950mに出走しました。
 ニエユ賞では発馬が悪かったのですが,ここは抜群とはいえないものの互角の発馬。そのまま行く気に任せて上がっていき,外の2番手となりました。11頭立ての8番という枠順の関係から外になるのは仕方なく,最初の1000mの通過が63秒台もしくは64秒台という超スローペースでしたので,位置取り自体はよかったのではないかと思います。そのまま直線に入り,逃げ馬が追い出すのをみて追われましたが,まったくといっていいほど伸びをみせず,馬群に飲み込まれていき,10着に終っています。
 距離が長かったということは考えにくいので,レース振りからすれば体調が万全ではなかったのではないかと思われます。共同通信杯は勝ったのですが,今年の日本の3歳馬の全体的なレベルはそうも高くはないというのが僕の見解で,仮に能力を十分に発揮できる体調にあったとしても,やはり勝ち負けというところまでは難しかったのではないでしょうか。成長力に欠けていたという可能性も否定はできませんので,帰国後にどの程度まで戦えるのかは注目点のひとつだと思います。

 本来なら別のテーマとして考察するべきであったかもしれないスピノザによる事物の定義の条件についての探求に立ち入らざるを得なかったために,かなりの時間を要することになってしまいましたが,これで僕は僕が理解するマシュレの立場からあり得ると思われるような反論に対して十分に返答することができたと確信します。よって,人間の精神のうちに球の観念が発生する場合に,マシュレはそれが人間の精神による純粋な思惟作用であるから人間の精神の能動であるとみなし,僕はそれが十全な観念であるという理由によって人間の精神の能動とみなすというように,その根拠は異なるわけですが,結論は一致するということにして,今度は人間の精神の受動ということを,具体的にマシュレと僕がどのように解するのかということを考えていくことにします。
 精神の受動の場合,一致点を探るのはかなり容易であるだろうと僕は考えます。たとえば第二部定理一七の仕方で人間の精神が外部の物体を表象するとき,これをマシュレは人間の精神の受動とみなすでしょうし,僕もまたマシュレと同様に人間の精神の受動であると考えるからです。
 これをマシュレが人間の精神の受動とみなすと僕が考える理由は,実は何をもってそれを人間の精神の能動とマシュレは考えるのかという僕の推論のうちにすでに含まれているといっていいでしょう。つまりマシュレはもしもそれが人間の精神による純粋な思惟作用であるならそれをその人間の精神の能動とみなすと僕は考えるわけですが,人間の精神による事物の表象は,その人間の身体がある外部の物体によって刺激を受ける場合に生じる思惟作用ですから,これをその人間の精神の純粋な思惟作用とみなすことは不可能です。したがってこの場合にはマシュレはこれを人間の精神による受動とみなす筈です。
 一方,こうした外部の物体の表象というのは,第二部定理二五により,その物体の十全な観念ではなく混乱した観念です。よって第三部定理三によって僕もこれを人間の精神の受動であるとみなします。
 この場合にも,球の観念の発生の場合のように,それを受動とみなす根拠というのはマシュレと僕とでは異なります。ただしこの場合には,これをさほど問題視する必要はないと僕は考えます。
コメント
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