スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京ダービー&同一の表象

2011-06-08 20:41:05 | 地方競馬
 今週は地方競馬のダービーウィーク。今宵は大井で第57回東京ダービー
 最初の直線は長く,ゆっくりと外からエースフォンテンが先頭に。ジャクソンライヒ,ナターレの3頭はほぼ一団。クラーベセクレタはこれらの後ろに控えました。前半の1000mは60秒9のハイペース。
 レースを動かしたのは後ろから5番手あたりに位置していたファジュルで,向正面を一気に進出。3コーナーを過ぎたあたりで先頭。ナターレだけは食い下がり,その外へクラーベセクレタも進出。手応えはクラーベセクレタがよく,直線で追われると内の2頭は置き去りに。追ってきたのがレース前半は最後尾を追走していたヴェガスで,よく迫りはしたものの1馬身届かず,クラーベセクレタが優勝。ヴェガスが2着。正面の直線では好位にいたものの,一旦は控える形になったキスミープリンスが大外を追い込んで3着。
 優勝したクラーベセクレタ羽田盃も制していて2冠達成。北海道から転入後は南関東重賞ばかりを使って負けなしの5連勝。ここはほぼ勝負付けの済んだメンバー構成なので,順当な勝利。むしろ思ったほどの差をつけられなかったような気すらします。距離はもう少し短い方がいいのかもしれません。母の父がタイキシャトル。Clave Secretaはスペイン語で秘密の鍵。
 日曜には安田記念を勝った大井の戸崎圭太騎手は先週はさきたま杯も制しています。東京ダービーは2007年,2008年,2010年と勝っていて連覇で4勝目。管理している船橋の川島正行調教師は1997年,1998年,2004年,2005年に勝っていて5勝目。

 属性ということばによって何事かを表象することは,属性それ自体を混乱して認識するということとは異なっていること,さらに僕たちがある物体についてそれを混乱して認識したとしても,それは第二部定義一で示されていることを混乱して認識しているということとははっきりとした懸隔があるということに注意すれば,人間が延長の属性ならびに思惟の属性に関して,それを混乱して認識するということは現実的に生じないのではないかという僕の仮説は,ますます強化されるのではないかと思います。そしてさらに,次のことを付け加えておきます。
 たとえば僕たちは,リンゴということばに触れることによって,果物のリンゴを表象するということについては,僕もそうしたことが生じ得るということを認めます。いい換えれば,属性ということばによる表象と属性そのものの表象との間には明確な差異があると僕は考えますが,リンゴということばによる何事かの表象と,物体としてのリンゴの表象との間には,必ずしもそれと同じ意味での差異があるとは考えません。むしろ場合によっては同じであると考えます。僕は表象の種類としては主だったものをみっつ考えていますが,リンゴということばによる何事かの表象は,そのうちの想起に該当する場合があるのであって,それは物体としてのリンゴの表象と同一とみなしてよいと思うからです。
 これは,同一の表象というとき,何をもって同一であると僕が考えるのかという点がその理由になります。一般に人間の精神による事物の想起というのは,第二部定理一七系の様式で生じます。そしてその証明をみれば明らかなように,スピノザはこれを人間の身体のある運動と関連させて示します。もちろんこの証明におけるスピノザの説明は,医学とか生理学という分野からみればむしろ批判の対象となるでしょうが,人間の精神というのが知覚であれ想起であれ何事かを表象するときに,人間の身体にある運動が生じているということ自体は否定できません。僕が同一の表象というときに重視するのは,この運動が同一であるという意味です。つまりリンゴということばによって人間の身体に生じる運動が,かつて果物のリンゴを知覚したときに生じた運動と同一なら,これを同一の表象と僕は考えるのです。
コメント
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