スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

セントジェームズパレスステークス&第一部定義四まとめ①

2011-06-17 18:43:54 | 海外競馬
 イギリス王室は競馬と縁深く,競走馬を所有していますしロイヤルアスコット開催を主催もします。出走するだけでも名誉とされるこの開催ですが,今年は現地時間の14日に行われた芝1600mのセントジェームズパレスステークスGⅠ(動画)に,NHKマイルカップを優勝したグランプリボスが出走。この開催を日本調教馬が走るのは初めてでした。
 ペースメーカーだと思いますが,1頭が極端に後ろを離して逃げていくというレース。グランプリボスは最初は2番手につけ,後ろから追ってきた馬が前に出ていくという自然な形で4番手まで下がり直線に。そこから追い出されたのですがほとんど伸びることなく,見せ場を作ることもできずにかなり離された8着という結果に終わりました。
 これだけ離されてしまえば言い訳ができるような内容ではなく,端的にいえばここでは実力不足であったということだと思います。ただ,この馬は日本の軽い馬場では1600mまでこなしているわけですが,血統的な面から考えると,本質はスプリンターなのではないかと思います。日本と比べた馬場状態がどの程度のものであったのかは分かりませんが,勝ち時計があまり早くないことから考えて,タフであることは確かでしょう。こういった馬場での1600mというのはこの馬には長すぎるということもあるのではないかと思います。

 今回は『エチカ』において,スピノザの哲学の研究者の間で論争の焦点となった最初の部分である第一部定義四をテーマとして設定し,この定義の解釈に関わる僕自身の立場を明らかにするとともに,僕がそのような立場に立つ根拠を説明していくことにしました。
 僕がこの定義に含まれていると考えていた論争の焦点というのはふたつです。ひとつはこの定義は名目的な意味だけを有しているのか,それとも実在的な意味を含んでいるのかという点で,もうひとつはこの定義は明らかに認識論的にしか読解できないように書かれているけれども,スピノザがそう記述した通りにあくまでも認識論的に理解するべきであるのか,それともここにはスピノザが書いた以上のこと,つまり実在論的な意味も含まれていると考えるべきであるのかという点です。
 まず先に前者の問題,実在的と名目的の問題から考察していきました。結論からいいますと,僕は第一部定義四の立場というものは,名目的にも解釈できるし,実在的にも解釈できると考えています。どういう場合にこの定義を名目的に解釈し,またどういう場合にはこれを実在的に理解するべきであるかということは,第一部定義四自体のうちには含まれておらず,むしろここで定義されている属性というものが,『エチカ』の各々の部分においてどのような意味合いで用いられるのかということと大きく関係していると考えるからです。
 僕がこのように考える根拠というのは,おおよそ次のようなものです。第一部定義四は,属性は実体の本性を構成するとされていますので,まず第一条件として,この定義が実在的であるためには,何らかの意味において実体というものが実在的でなければなりません。そこでまず,実体の定義である第一部定義三の立場を考えてみますと,『エチカ』のいくつかの部分に関しては,明らかに名目的部分としか考えられないようなところがあり,それは第一部定義三で示されている実体と大きく関係しているという点からして,第一部定義三が実在的であると考えることはできません。いい換えれば名目的です。そこでもしも実体の属性ということが,第一部定義三で意味されているような実体の属性ということを意味するならば,第一部定義四は名目的であるとしか理解できないのだと思います。
コメント
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