スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災復興支援一宮記念&第一部定義四まとめ③

2011-06-19 18:32:35 | 競輪
 事前に組まれていた日程がうまいこと作用し,次世代のエースの地元への凱旋という形なった一宮記念は今日が決勝。中部だけで7人の並びは深谷-吉田-山内-服部の愛知で飯嶋はここで番手戦,柴崎-加藤-山口の中部,三宅は単騎。
 柴崎がSを取って前受け。三宅を挟んで後方に深谷。深谷の後ろは周回中から競り。残り2周のホームで深谷が上昇開始。バックで柴崎を叩くと三宅が5番手にスイッチ。柴崎は6番手まで引いて打鐘。深谷が外に上がったところで吉田がインに入り,内が吉田,外が飯嶋の競りとなり,ホームから深谷の抑え先行。番手戦はバックまで続き,飯嶋が奪取。柴崎の捲りは3番手で一杯。直線入口で山内が内から飯嶋に競り込むもこらえた飯嶋が深谷を猛追。しかし僅かに届かず逃げ切った深谷の優勝。飯嶋が2着で,外を踏むことになった服部もかなり迫って3着。
 優勝した愛知の深谷知広選手は月初めの高松宮記念杯の凱旋レースを見事に飾りました。記念競輪は年頭の立川記念に続く2勝目。展開有利なレースだったわりには詰め寄られた感は無きにしも非ず。GⅠの疲れとか,地元戦での重圧などがあったのかもしれません。それでも凌いで優勝をするあたりは立派だと思います。
                         

 続いてもうひとつの問題,認識論と実在論の問題の解析へと移行しました。これについても結論を先に明らかにすれば,僕は第一部定義四というのは,スピノザがそこに書いたこと以上の意味,すなわち単に認識論的な意味だけではなく,実在論的な意味というのが含まれていると考えます。僕の方法というのは,『エチカ』の問題は『エチカ』に訴えることによって解決するということなので,僕がこのように考える根拠というのは,第二部定理一と第二部定理二にあります。ここでは明らかに延長の属性および思惟の属性が,知性による各々の属性の認識とは離れて,実在するということがいわれています。そしてこのことが,神の本性を構成する無限に多くのどの属性に関しても,スピノザがこれらの定理を証明するのと同様の方法を用いることによって,証明することができる筈であると僕は考えるからです。よってこれらの定理が,実在論的理解の根拠になり得ると僕は考えるのです。
 一方,この問題ではこれとは別に,ドゥルーズの論証,すなわち,スピノザの哲学における知性というものは実在的なものだけを認識するのだから,第一部定義四が認識論的に書かれていても,これを実在論的に解釈して構わないというやり方で,認識論と実在論を巡る問題自体を一蹴するような論証の妥当性について,詳細に考察しました。もちろんこの定義のうちにある知性というのを,神の無限知性であると考えるなら,この論証は正当です。そして第二部定理七備考の前提は,確かにスピノザがそういった意図を有していたということを窺わせるのも事実です。しかし混乱した観念の問題というのは,第一部定義四だけに関連するというわけではありませんから,この論証が妥当であるとしても,どの範囲までこうした態度が妥当であるのかということの分析はやはり欠かせないと僕は思います。
 第二部定理四二の意味というのを,僕はただひとつの十全な観念がある知性のうちにあれば,その知性は一般に真理と虚偽とを分類できるというように解釈します。そしてすべての人間の知性の一部は,十全な観念によって組織されています。よってどんな人間も,自身の精神のうちに属性の混乱した観念があった場合,それを混乱した観念であると認識することはできるのです。
コメント
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