スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典さきたま杯&第二部定理二六

2011-06-01 19:10:10 | 地方競馬
 このブログにおけるレース表記上は同じ重賞でも,今年からJpnⅡへと格上げになった第15回さきたま杯
 先陣争いもひとつの焦点でしたが,ジーエスライカーが難なく逃げました。ラブミーチャンが2番手で追い掛け,キングスゾーン,ナイキマドリードまでが先行集団。前半の600mは35秒6でハイペース。ラヴェリータやセレスハントなどは追走に汲々としているように見えました。
 キングスゾーンは向正面で脱落。3コーナーを回るとラブミーチャンがジーエスライカーに並び掛けていき,ナイキマドリードがさらにその外を追ってきて3頭は一団。直線ではラブミーチャンが脱落し,抜け出したのはナイキマドリード。そのまま後続を寄せつけることなく優勝。ジーエスライカーが一杯に2着に粘り切り,先行集団の後ろからレースを進めたスーニが追い込んで3着。
 優勝したナイキマドリードは昨年暮れのオーバルスプリント以来の勝利で重賞は初制覇。能力的には好勝負になると考えていた1頭で,距離はこれくらいあった方がいいのでしょう。短距離路線だけは地方馬も中央馬に伍して戦えている現況ですので,今後もある程度の活躍が見込めるだろうと思います。
 ここも先週の大井記念と同じ大井の戸崎圭太騎手,船橋の川島正行調教師のコンビ。さきたま杯は揃って初勝利です。

 僕が仮説として立てようとしている事柄を『エチカ』に訴えて探求していく場合,援用できそうな定理Propositioというのがいくつかあるのですが,ここでは第二部定理二六というのを利用してみることにします。
 「人間精神は自己の身体の変状[刺激状態]の観念によってのみ外部の物体を現実に存在するものとして知覚する」。
 これは外部の物体corpusには限りませんが,人間の精神mens humanaがあるものについて,それが現実的に存在すると認識する場合,すなわち実際にそうしたものがこの人間の現前に存在しているのかどうかということとは関係なく,何かあるものが現実的に存在すると知覚するpercipereとき,スピノザの哲学では,その人間の精神が,そうした現実的に存在すると知覚する対象のことを表象するimaginariというわけです。したがってこの定理が意味しているところは,もしも人間が外部の物体を表象するとすれば,それはその人間の身体corpusの刺激状態を通してのみであるということになります。
 次にこの定理の証明Demonstratioですが,まず第二部定理一七によって,人間の精神がその人間の身体の刺激状態を通して外部の物体を表象するということは問題ありません。より正確を期すならば,これにさらに第二部定理一七系を加えることができます。ところで,第二部定理一三によれば,ある人間の精神というのはその人間の身体の観念ideaのことです。よって,第二部定理七により,ある人間の精神の秩序ordoというのは,その人間の身体の秩序と,平行論における平行関係,すなわち同一個体であることになります。よって,もしもある外部の物体が,ある人間の身体を刺激するなら,この人間の精神もまたこの刺激を知覚するということになりますが,もしも身体が外部の物体によって刺激されないならば,この人間の精神がそうした物体を知覚するということはあり得ません。つまり,その人間の精神は,そうした外部の物体が現実的に存在するかしないか,いい換えればそうした物体を表象するのかしないのかという以前の問題として,その物体を認識するということすら不可能であるということになるでしょう。よって,人間が外部の物体を表象するのは第二部定理一七,さらに多く見積もっても第二部定理一七系の仕方だけであり,それ以外にはないということになるのです。
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