スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高山復帰戦&スピノザの立場

2006-07-19 21:42:07 | NOAH
 16日のNOAHの日本武道館大会で,高山選手が復帰しました。プロレスラーというのはそれが商売であるとはいえ,対戦相手を殴ったり蹴ったりしなければならないわけです。普通に考えれば,いかに試合の中とはいえ,他人の顔面を思い切り殴ったり蹴ったりするのは,意外と難しいことなのではないかと思います。全日本プロレス出身のレスラーは,比較的それをわりきってこなしているように思うのですが,今回は相手が脳梗塞からの復帰ということで,三沢選手も秋山選手もいつもよりやりにくかったとは思うのですが,観客の方が静まり返ってしまうくらいの攻撃をみせてくれました。最後もエメラルドフロウジョンからリストクラッチ式のエクスプロイダーという連続攻撃で高山選手を沈めて,プロレスラーとして最高の祝福をしたのではないかと思います。しかしそれより驚いたのは放送の解説が北斗晶だったこと。まあNOAH中継では鬼嫁キャラは封印気味ではありましたが,解説とは日本テレビも思い切ったことをします。この日は小橋選手の代役の佐々木選手のほかに,健介ファミリーの中嶋選手も参戦していて,何かの布石なのかと思ったら,佐々木選手は実は左の眼を骨折していたということで,しばらく休養に入るようです。このケガは,確か以前に三沢選手も見舞われたもので,問題なく復帰できるものと思います。

 平行論に依拠したスピノザの観念論は,確かにそれ自体で展開はします。ただし,第一部公理五から第二部公理五を導いたときの結論である,人間の身体は物体であるから,人間の精神は観念あるいは自分の精神を別にすれば物体だけを認識するというのは,逆にいえば,人間が自分の精神以外に認識するのが物体だけであるのは,その人間の精神を構成している観念の対象である人間の身体が物体だからであるということになります。そしてこのことは,人間だけに妥当であるだけでなく,すべてのものに妥当なので,ある精神が認識し得るものというのは,この精神を構成する観念の対象に依拠するということになりますから,スピノザの観念論がいかにそれ自体で展開するといっても,スピノザ哲学の中には純粋な観念論というものはなく,立場としては唯物論に近いということになるのだろうと思います。
コメント
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