スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

現在形&スピノザの観念論

2006-07-20 23:01:33 | NOAH
 16日のNOAHの日本武道館大会で,僕が個人的に最も注目していたのはむしろセミファイナルの力皇・森嶋組と丸藤・KENTA組の試合でした。この4人はそれぞれキャリアが6~8年で,大相撲でそこそこの地位までいったので入門が遅れた力皇選手を除くと20代ということで,NOAHの未来形といういわれ方をするのですが,僕はもう十分に現在形であると思っていますし,仮に未来形であるのだとしても,その未来は近未来だろうと思います。僕が観た(テレビでですが)印象だと,この日は丸藤選手がやや精彩を欠いていたという感じではありましたが,それでもそれぞれが持ち味を十分に発揮して,好内容の試合となりました。結果は,30分で時間切れ引き分けというやや消化不良なものだったのですが,それにも関わらず,試合終了と同時に観客から拍手が起こっていたことがそれを証明していると思います。
 明日は川崎でスパーキングサマーカップがあります。こういうレースははっきりいって難しい。一応インターセフォー◎を中心に推しますが,マズルブラスト○や上がり馬のトキノフレンチ▲も差がなさそうだし,イシノダンシング△とコアレスデジタル△にも魅力を感じます。さらに距離が短そうですがチョウサンタイガー△だって侮れず,とても絞りきれません。
 それから今年で2回目となるGⅡのサマーナイトフェスティバルが,今年は函館で明日からの開催です。これは2日制で,初日は全9レースが予選で,1着の選手のみが翌日の決勝に進出するという厳しいシステムです。

 スピノザの基本的な立場は唯物論的です。しかし,スピノザの観念論を純粋に唯物論的な観点から解釈すると,それはそれで大きな誤りを引き起こすと思います。スピノザはよく観念は思惟の様態であるということを強調しますが,それは,観念が思惟の様態であるからには,それはたとえば物体が延長の様態として有するのと同じだけの実在性を有しているという意味なのです。つまり,スピノザの立場が唯物論的であるのは,ある精神が認識し得るものが,その精神を構成している観念の対象の属性と共通な属性に限られるとされるからであって,別に物体が有で観念は無であるというわけではありません。ある物体の観念は,その物体が有であるといわれるのと同様の意味において有であり,つまり同じだけの実在性を有すると理解しなければなりません。
コメント
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