三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸9.

2020-06-08 06:46:21 | 城郭縄張図1

2020年6月8日(月)昨日は寝冷えか・・・鼻水が・・・大変でした今日は治まっていますが、しかし振り返ってみると下手な写真が多いですね、反省点が出てきました。

伊賀上野城 三重県伊賀市、梯郭式平山城、天正13年(1585)筒井定次・・・慶長16年(1611)豊臣対策の為、徳川家康の命で藤堂高虎が改修し高石垣で有名ですね、台風の為天守が倒壊、元和元年(1615)大阪夏の陣で豊臣家滅亡で築城も中止、藤堂高虎は津城が本城です・・・(津城はまだ行ってませんね)。

伊賀上野城 左側のお城・・・奥にも石垣(古城跡が在りますね)。

伊賀上野城 西側の対豊臣対策で構築した高石垣と堀・・・確か高い所で23m・・大阪城は30mとか。

伊賀上野城 層塔型3重3階ですが、当初は5層の予定が3層となり天守台石垣とのしっくり感が・・・。

岡山城 岡山県岡山市、梯郭式平山城、旭川を背後に川向うの後楽園を曲輪に、宇喜多直家が入城、天正18年(1590)から子の秀家57・4万石が大改修、後にあの小早川秀秋も入っていますね、残念ですが昭和の空襲で炎上焼失。

岡山城 後楽園より見える城。

岡山城 旭川を背景に、複合式望楼型4重6階の大天守。

岡山城 本丸大手門側・・・後楽園の反対側です、下側が三の丸方面です。

掛川城 静岡県掛川市、梯郭式平山城、永禄12年(1569)今川氏より徳川が奪う・・・その後の武田氏との戦いにも持ちこたえましたが、天正18年(1590)山内一豊5・1万石で移封し改修(関ケ原以降高知へ)。

掛川城 本丸と天守丸・・・三日月堀。

掛川城 本丸・・・・四足門・荒和布櫓・・・・天守丸・天守。

掛川城 天守丸に聳える、複合式望楼型3重4階天守。

関宿城 千葉県野田市、利根川水系で船運の要地、関東の水運を抑える拠点で戦国末期北条と上杉の間で激しい争奪戦の地となった、梁田晴助(古河公方の家臣)が守り上杉謙信・佐竹義重の援助で頑張ったが、3度目の北条氏康・氏照父子の侵攻で陥落・・・北条は北関東へ進出、小田原征伐後は松平康元(徳川家康の異父弟)が治める・・・河川の中で現在は脇にお城が・・・・古河城も川の中ですね。

関宿城 天守

関宿城 この場所から少し下流の土手脇が元の城跡。

広島城 広島県広島市、輪郭式平城、太田川河口のデルタ地帯に築いた平城、毛利輝元112万石が天正17年から築城、高田郡山城より移築・・・黒田官兵衛(如水)が縄張りとか。

広島城 二の丸・本丸、慶長5年(1600)福島正則が大改修、元和5年(1619)からは広島藩42・6万石浅野家の居城、戦災の原爆で倒壊。

広島城 本丸内部から、複合式連結望楼型5重5階。

広島城 内堀外三の丸より。

広島城 水堀に浮かぶ天守・・・右側奥の方に原爆ドームです。

高田(吉田)郡山城 広島県高田市吉田、毛利家の居城、毛利元就・輝元 改修、江の川と多治比川に挟まれた、吉田盆地の北側の郡山全山の山城。

高田郡山城 拡張により全山の尾根筋に各曲輪が広がる、毛利輝元が広島城を築城し移城、江戸初期に廃城。

高田郡山城 二の丸。

高田郡山城 本丸、毛利家は 広島・・萩城へと。







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