三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸8.

2020-06-05 10:23:12 | 城郭縄張図1

2020年6月5日(金)、今日は暑い、写真整理と文章の入力・・。

熊本城 熊本県熊本市、御存じ加藤清正築城、慶長5年(1600)関ケ原の戦いの行賞で肥後一国52万石、梯郭式平山城舌状台地の尖端、南東を流れる白川、高石垣、寛永9年(1632)加藤忠広の時改易、肥後小倉城より細川忠利が54万石入封、明治4年(1871)熊本鎮台指令の桐野利秋(中村半次郎)は老朽化した櫓を破棄、特に西出丸は石垣を取り壊した?、明治10年(1877)の西南戦争では鎮台兵4000人で1・4万人の薩摩軍の攻撃に耐えましたね。

熊本城本丸から見た連結式望楼型3重6階地下1階の大天守と3重4階地下1階の小天守。

熊本城 戌亥櫓・宇土櫓・大天守。

熊本城 宇土櫓(3重5階・・・第三の天守)・小天守・大天守。

熊本城 数寄屋丸から本丸御殿方面の高い石垣、左側奥が天守・・・。

高岡古城 富山県高岡市、梯郭式平城、前田利長築城、キリシタン大名の高山右近縄張り築城、慶長14年(1609)富山城の大火にあい、この高岡城へ・・・5年後死去、元和元年(1615)一国一城令で廃城。

高岡古城 各曲輪が水堀で分かれ有機的に橋で連結された城。

高岡古城 本丸にある前田利長像。

今治城 愛媛県今治市、輪郭式平城(海城)、慶長7年(1602)藤堂高虎が伊予半国20万石となり築城、三重の水堀に海水を引き込んだ海城、内堀と石垣はほぼ当時のまま。

今治城 二の丸から見た藤堂高虎の像と天守望楼型5重6階、藤堂高虎は羽柴秀長に仕え土木技術にたけ城造りの名人と言われましたね・・・徳川家康にも関わり深いし江戸城にも関係していますね。

今治城本丸 鉄御門・武具櫓・・・奥が天守。

今治城 上の堀を右側に回り込みました、左側が武具櫓・多門櫓・山里櫓・天守と美しい城郭ですね。

三戸城 青森県三戸郡、連格式山城、馬淵川と熊原川の浸食で出来た河岸段丘の上を削平、三戸南部氏の居城、天文8年(1539)南部晴政の時築城、天正18年(1590)九戸政実の乱の時の南部信直の居城、後に盛岡城に移る。

三戸城 三重三階櫓が天正19年(1591)に築城との事。

三戸城 大手櫓門。

小田原城 神奈川県小田原市、大森・北条・大久保忠世・稲葉正勝・・、特に北条氏康の時代には難攻不落無敵の城と言われ、上杉謙信・武田信玄の攻撃にも耐えました、江戸期には居館部が近世城郭へ改修、奥の詰めの城(八幡山)も中世城郭の遺構が残る、又延長9kmの土塁と空堀の総構えの外郭も一部・・・慶長19年(1614)徳川家康自らが撤去。

小田原城 総石垣の城の改修は寛永9年(1632)頃、元禄の地震では天守が倒壊。

小田原城本丸 天守、複合式層塔型3重4階。

小田原城 馬出門を入り馬場曲輪から・銅門(二の丸虎口)。

小田原城 常盤門・・・二の丸から本丸の虎口。

足助城 愛知県豊田市、戦国時代の山城、真弓山301mの山頂を中心とした、三河鈴木氏の居城。

足助城 三河松平に属す、天正18年(1590)徳川家康関東へ入国、城は廃城となった。

足助城 下側の図を右側に廻込本丸方向に・・・横矢掛かりの防御です、右側は崖の為隠れられず。

足助城本丸の虎口。

足助城本丸脇からは今登って来た道が左側に、尾根を段々に削平し、矢倉(見晴らし)台、・・・昔のイメージを復元した山城です。

中津城 大分県中津市、梯郭式平城(海城)、天正16年(1588)豊臣秀吉から豊前国6郡12・3万石をもらい黒田考高(官兵衛)が築城、その後細川忠興が監視、中津川河口の地を利用し堀は海水を引き込んだ、慶長5年(1600)細川忠興が豊前・豊後39万石で入封、寛永9年(1632)細川家は熊本城へ転封、以後奥平家。

中津城 本丸より独立式望楼型5重5階。

中津城 内堀側より天守を見る。

土浦城 茨木県土浦城、輪郭式平城、城主は時代ごとに入れ替わる松平信一・信吉の代に改修ほぼ現在の形に。

土浦城 本丸二の丸。

土浦城大手門の櫓門。
土浦城 搦め手側東矢倉。
しかし、今日は暑いですね、夕方にならないと散歩が出来ませんね。








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