2016年3月24日(木)に姫路城・好古園・播州赤穂城に行って来ました、流石世界文化遺産・国宝姫路城(白鷺城)です観光客も沢山来ていますね、50年ぶりです。
姫路駅前から正面に見えますね、街並みはともかく城の規模がそのままあるのですから改めてすごいですね。
お城の縄張りです、まだ”ぬの門”と”りの渡櫓”が修復中が残念ですが他は平成の大修理が終わり奇麗な白鷺の天守閣が甦っています、門・櫓の数が多いのでイロハとか一二三とか名前を附っている状態ですね。
大手門前からの姫路城です。
大手門と堀です
三の丸広場(今は何もありませんが)から左側方面の西の丸百間廊下入り口櫓・カの櫓・菱の門です。
カの櫓・菱の門・化粧櫓です、ぬの門・りの渡櫓は工事中なので撮りません。
西小天守・大天守と本丸(備前丸)の石垣・二の丸の石垣です、右側が太鼓櫓・帯郭櫓(腹切丸)です。
西の丸の石垣から見上げた百間廊下入口櫓とカの櫓です。
菱の門入り口です。
門を入るとそこに天守が乾小天守・西小天守・大天守と本丸石垣・二の丸石垣が見事に迫りましたネ。
上の写真を少し下から三国堀から石垣を含めてご覧あれ。
百間廊下出口にある化粧櫓(千姫の休憩所)です。
西の丸から見た天守閣、西小天守と大天守の間の石垣下が天守への入り口なのです、回り込まないと入れないのです、高い石垣と長い壁門を越さないと辿りつけない防御を構成。
西の丸百間廊下への入口櫓です。
百間廊下と天守です。
西の丸から見た天守閣までの回り込ませる仕組みの壁と門がつながります、左側の櫓門を抜け右側の天守閣入り口に辿りつかないと・・・・。
途中の多分”ろの門”ですね。
これは”はの門”へむかうところですかね。
しかも門が段々小さくなり大勢が攻め込めない防御の仕組みです、門の狭間・石垣の上から狙い撃ちです。
天守閣への道は上からの狙い撃ちに隠れる場所もないところです。
天守閣内部から今来た方角を見ました大変さがわかりますね。
本丸広場から見上げた天守閣です、手前の石垣の間が出入り口です。
姫路城横の好古園にも入りました、色々な庭園がありました。
姫路城は5層7階で黒田官兵衛・羽柴秀吉・本多忠正らが城主ですが西国の大名を抑えるため池田輝政が大改築で今の姫路城を作りました。
明日はいよいよ備中松山城です楽しみだなー。
姫路駅前から正面に見えますね、街並みはともかく城の規模がそのままあるのですから改めてすごいですね。
お城の縄張りです、まだ”ぬの門”と”りの渡櫓”が修復中が残念ですが他は平成の大修理が終わり奇麗な白鷺の天守閣が甦っています、門・櫓の数が多いのでイロハとか一二三とか名前を附っている状態ですね。
大手門前からの姫路城です。
大手門と堀です
三の丸広場(今は何もありませんが)から左側方面の西の丸百間廊下入り口櫓・カの櫓・菱の門です。
カの櫓・菱の門・化粧櫓です、ぬの門・りの渡櫓は工事中なので撮りません。
西小天守・大天守と本丸(備前丸)の石垣・二の丸の石垣です、右側が太鼓櫓・帯郭櫓(腹切丸)です。
西の丸の石垣から見上げた百間廊下入口櫓とカの櫓です。
菱の門入り口です。
門を入るとそこに天守が乾小天守・西小天守・大天守と本丸石垣・二の丸石垣が見事に迫りましたネ。
上の写真を少し下から三国堀から石垣を含めてご覧あれ。
百間廊下出口にある化粧櫓(千姫の休憩所)です。
西の丸から見た天守閣、西小天守と大天守の間の石垣下が天守への入り口なのです、回り込まないと入れないのです、高い石垣と長い壁門を越さないと辿りつけない防御を構成。
西の丸百間廊下への入口櫓です。
百間廊下と天守です。
西の丸から見た天守閣までの回り込ませる仕組みの壁と門がつながります、左側の櫓門を抜け右側の天守閣入り口に辿りつかないと・・・・。
途中の多分”ろの門”ですね。
これは”はの門”へむかうところですかね。
しかも門が段々小さくなり大勢が攻め込めない防御の仕組みです、門の狭間・石垣の上から狙い撃ちです。
天守閣への道は上からの狙い撃ちに隠れる場所もないところです。
天守閣内部から今来た方角を見ました大変さがわかりますね。
本丸広場から見上げた天守閣です、手前の石垣の間が出入り口です。
姫路城横の好古園にも入りました、色々な庭園がありました。
姫路城は5層7階で黒田官兵衛・羽柴秀吉・本多忠正らが城主ですが西国の大名を抑えるため池田輝政が大改築で今の姫路城を作りました。
明日はいよいよ備中松山城です楽しみだなー。
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