三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

桑折(こおり)西山城に行って来ました(本丸・二の丸)。

2024-01-21 09:43:03 | 城郭福島1

2024年1月17日(水)に福島の桑折西山城に行って来ました。

JR福島駅より3つ目の桑折(こおり)駅、駅から見える手前の山が目指す桑折西山城、駅にある説明書を頂いて・・。

途中には説明の案内書が新幹線をくぐります・・・・万正寺のカヤも途中にあります。

新幹線のガード下を抜けると目の前にある桑折西山城・・・右側が本丸辺りですね。

観音寺方面が・・・右に・・・。

観音寺入口(時間が無く観音寺には行きませんでした)の脇を直進・・・・右側が大手門通りです。

脇の階段を上がれば柵がありますが、入口ですね、昔は右側下が大手門道でしょうね。

獣除けの柵を抜けます、直進の大手門道(今は通行止め)、左側方面から回り込みます。

桑折西山城の縄張り図、今は下側から・・・・今回はまず、右側を案内します、砲台場・本丸・二の丸の右半分です。

車も通れる道を大手門へ、当時は右下が大手門道ですね。

昨日は雪が降りました、今日は駄目かなと思いましたが行けるとこまで行きますね・・・・大手門道を上がり大手門の虎口まで来ました、大手門にかぶさるように右手の砲台場の曲輪が・・。

桑折西山城の大手門が見えてきましたね、この辺りは門前のたまり場でしょうね、今は左側がなめらかですが、当時は切り立つ土手でしょうか?。

桑折西山城の大手門。

大手道を少し進みました、左側奥が本丸・・・本丸を囲むように削平された曲輪が・・・まず右側の砲台場方面へ。

砲台場への上がり道・・・雪が結構ありますね。

砲台場の曲輪・・・・奥左側が砲台場の土塁・・・明治元年の改修した曲輪、明治政府が仙台藩に命じて作ったとの事、会津藩を抑えの為ですが、その後仙台藩も会津藩と同盟を結んで明治政府に対抗することに・・・実際は使用されなかったみたいですがね。

砲台場方面から見た桑折西山城の本丸(右上)、削平された曲輪と犬走のような道現在の宅地造成のような・・・。

桑折西山城本丸です、天文元年(1532)頃に陸奥国守護に任じられた伊達稙宗(14代)が築き、天文17年(1548)に嫡男伊達晴宗が米沢に移るまで戦国大名伊達氏の本拠の山城。

本丸の右側・・・正面右側が裏門側・・・・七曲道(搦め手道・・通行止め)。

本丸から見た左側下が大手門、正面奥が二の丸地区、手前が左が本丸表門、直進が本丸下段方面(空堀で区分け)。

本丸表門・・・大手門へ通じる。

本丸下段地区との分割の空堀。

本丸下段地区から見た二の丸地区、正面の土塁向こうは大きな空堀で二の丸地区と分割、二の丸地区側が見ると高いですね。

土塁を回り込みました、空堀の底道、左側が二の丸地区、右側が本丸地区。

二の丸側の低い曲輪を回り込んで二の丸側の下に出てきました。

二の丸側の右端から上に上がります、二の丸の途中から横を見た所です、削平地と切岸・犬走状態が解りますね。

二の丸。

二の丸から見た、桑折西山城本丸側。

二の丸奥の縁から見た全景、良い景色ですね。

西館方面の案内が・・・・・これから中館・西館へ。

 

 

 

 


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