2021年4月16日(金)に長野県上田市の真田一族ゆかりの里・・・砥石・米山城に行き、帰りに上田城に行って来ました、上田城は何度か行きましたね、天正11年(1583)真田昌幸によって築城です・・・砥石城は1550年ですから、戦国の時代を勝ち残ってきましたね。
見ずらいですが、長野県上田市の駅前(地図の左下)、中央が上田城です、上田盆地のほぼ中央です、砥石・米山城等の山城に囲まれた平城です、昔は千曲川が脇を流れている河岸段丘に建てられたのです、城の右側後方面は湿地帯だったのです。
現在の上田城周辺です下側に千曲川の河岸段丘の壁がそそり立ています、上側のグランド左側は沼地で前後に大きな外堀と内堀での防御ですね、この城は徳川軍と二度の合戦を行って負けなかったのです・・・防御性が高いしろですね・・・単に立てこもるだけでなく周りの山城との連携で頑張ったのでしょうね?。
此れが当時?のお城の縄張り図です、川と沼地と河岸段丘の壁と堀で守られているのが解りますね。
外堀に架かる二の丸橋です、奥が二の丸。
此れが二の丸を囲む外堀・・・深く大きいですね。
二の丸に入り本丸方面をみました、左側から南櫓・東虎口櫓門・北櫓です。
南櫓と東虎口櫓門、手前は内堀に架かる橋。
東虎口櫓門と北櫓。
内堀です、今後本丸の隅櫓二つを復元する計画があるみたいですね・・・復元すればこの位置から見えますね。
本丸の内側から見た東虎口櫓門と南櫓。
北櫓ですね。
真田神社です。
真田神社から見た西櫓。
西側の虎口側から見た西櫓。
西側の内堀。
河岸段丘を降りて尼が淵(元は千曲川)から見上げた西櫓・・・一部の壁はそのまま使用しています。
此れも尼が淵から見た南櫓。
少し角度をかえての西櫓。
南櫓。
少し離れてふたつの櫓を入れました・・・・途中雨が降ったりしていましたが、その後止んで良かったです、明日は雨なので休養です。
見ずらいですが、長野県上田市の駅前(地図の左下)、中央が上田城です、上田盆地のほぼ中央です、砥石・米山城等の山城に囲まれた平城です、昔は千曲川が脇を流れている河岸段丘に建てられたのです、城の右側後方面は湿地帯だったのです。
現在の上田城周辺です下側に千曲川の河岸段丘の壁がそそり立ています、上側のグランド左側は沼地で前後に大きな外堀と内堀での防御ですね、この城は徳川軍と二度の合戦を行って負けなかったのです・・・防御性が高いしろですね・・・単に立てこもるだけでなく周りの山城との連携で頑張ったのでしょうね?。
此れが当時?のお城の縄張り図です、川と沼地と河岸段丘の壁と堀で守られているのが解りますね。
外堀に架かる二の丸橋です、奥が二の丸。
此れが二の丸を囲む外堀・・・深く大きいですね。
二の丸に入り本丸方面をみました、左側から南櫓・東虎口櫓門・北櫓です。
南櫓と東虎口櫓門、手前は内堀に架かる橋。
東虎口櫓門と北櫓。
内堀です、今後本丸の隅櫓二つを復元する計画があるみたいですね・・・復元すればこの位置から見えますね。
本丸の内側から見た東虎口櫓門と南櫓。
北櫓ですね。
真田神社です。
真田神社から見た西櫓。
西側の虎口側から見た西櫓。
西側の内堀。
河岸段丘を降りて尼が淵(元は千曲川)から見上げた西櫓・・・一部の壁はそのまま使用しています。
此れも尼が淵から見た南櫓。
少し角度をかえての西櫓。
南櫓。
少し離れてふたつの櫓を入れました・・・・途中雨が降ったりしていましたが、その後止んで良かったです、明日は雨なので休養です。
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