2021年4月6日(火)に兵庫県篠山市の篠山城に行って来ました、この前に八上城を散策後です、篠山城は慶長14年(1609)徳川家康が豊臣方の拠点大阪城を包囲すると共に西国大名を牽制するため山陰道の要所のこの地に天下普請で旧豊臣大名の20大名に作らせました。
築城の名手あの藤堂高虎の縄張りによります、二重の水堀・外堀の三方向に馬出虎口・内堀内は本丸・二の丸の梯郭と外堀内は三の丸の輪郭を重ねた防御性のお城です、天守は築かなかったそうですね。
上の写真と向きが異なりますが、馬出虎口は外堀の外へ張り出したものです・・・大手門の馬出は現在ありませんね。
大手門の虎口中門?・・・馬出の大手門は現在無?。
二の丸への中門?。
内堀を望めますね。
此処が中門?・・・内枡形虎口ですね。
クネクネと枡形の鉄門です・・・二の丸の入り口中が大書院です。
二の丸大書院の建物を回り込みます。
二の丸です、左奥の石垣は本丸です。
二の丸の石垣上から見た、内堀と三の丸。
本丸方向です、正面石垣・・・・現在は青山神社がありますね。
本丸の虎口。
本丸右奥の天守台です・・・・天守は不要との幕府命令で建てず。
天守台石垣。
天守広場、右奥に見える山が丹波富士(高城山)八上城。
二の丸石垣から見た大手門方面。
本丸石垣です。
二の丸・・・南面の埋め門虎口。
埋め門から三の丸を見ました。
三の丸南から北側を見る内堀と石垣。
同じく東側方面を・・・。
左側が埋め門と二の丸の石垣・張り出したところからが本丸の石垣。その奥角が天守石垣。
北側の内堀と二の丸石垣。
此れが外堀です。
此れも外堀南面・・・濠の向こう側が三の丸と先程の二の丸本丸の石垣。
東馬出の堀と曲輪。
三方向を水堀に囲まれた東馬出曲輪です、左右の虎口から打って出る仕組みです、城内に戻るのも此処に集合して戻る・・・味方のふりをして紛れ込めないのですよ。
築城の名手あの藤堂高虎の縄張りによります、二重の水堀・外堀の三方向に馬出虎口・内堀内は本丸・二の丸の梯郭と外堀内は三の丸の輪郭を重ねた防御性のお城です、天守は築かなかったそうですね。
上の写真と向きが異なりますが、馬出虎口は外堀の外へ張り出したものです・・・大手門の馬出は現在ありませんね。
大手門の虎口中門?・・・馬出の大手門は現在無?。
二の丸への中門?。
内堀を望めますね。
此処が中門?・・・内枡形虎口ですね。
クネクネと枡形の鉄門です・・・二の丸の入り口中が大書院です。
二の丸大書院の建物を回り込みます。
二の丸です、左奥の石垣は本丸です。
二の丸の石垣上から見た、内堀と三の丸。
本丸方向です、正面石垣・・・・現在は青山神社がありますね。
本丸の虎口。
本丸右奥の天守台です・・・・天守は不要との幕府命令で建てず。
天守台石垣。
天守広場、右奥に見える山が丹波富士(高城山)八上城。
二の丸石垣から見た大手門方面。
本丸石垣です。
二の丸・・・南面の埋め門虎口。
埋め門から三の丸を見ました。
三の丸南から北側を見る内堀と石垣。
同じく東側方面を・・・。
左側が埋め門と二の丸の石垣・張り出したところからが本丸の石垣。その奥角が天守石垣。
北側の内堀と二の丸石垣。
此れが外堀です。
此れも外堀南面・・・濠の向こう側が三の丸と先程の二の丸本丸の石垣。
東馬出の堀と曲輪。
三方向を水堀に囲まれた東馬出曲輪です、左右の虎口から打って出る仕組みです、城内に戻るのも此処に集合して戻る・・・味方のふりをして紛れ込めないのですよ。
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