多摩美時代の友だちのFacebookやブログを覗くと、けっこう政治的なネタを取り上げてる人もいるのだが(含自分)、だいたいは安保法案反対、戦争法案反対なんていう左巻きの記事が多くて拍子抜けすることが多い。
良い仕事してたりするんだけどね。
人がどんな考えを持とうと自由だけど(社会正義に反しない範囲で)、事実でないことを取り上げて堂々と書いてあったり、それを発言したりするのは困ったものだ。
たとえば、ちょっと調べれば南京大虐殺で中国人30万人殺したなんて、ありえないことがわかるのに、それを鵜呑みにしている友だちは一人や二人じゃない。
学校の教諭をしてる友だち袋小路くん(仮名)などは・・・
「私は南京で大虐殺祈念館に行ったけど、あれはひどいもんよ」なんて言う始末。
おいおい、袋小路くん。
あそこに展示してる写真で、日本軍がやったと証明されてるものは1枚もないんだよ。
ひどいものだと、中国人が中国人を殺した写真も数多く展示されている。
もちろん戦争だから、誰も殺していないということはないだろうけど、あれは本多勝一と朝日新聞が組んで作られた一種のデマゴーグなんだよ。
そう説明したら、えらく驚いていましたが、それから考えをや意見を変えた様子はも見当たりませんでした。
自分の考えに合った話を事実として信じたくなるのはわかるけど、ここで驚いてしまうのが、そういう人が俗にアーチストや文化人と呼ばれる人に多いこと。
想像の世界に入り込む仕事をするためか、事実でないことを受け入れる能力が高いのかもしれないが、それは誤学習なのにねえ。
安保法案にしても、隣にあんな危ないムチャクチャな国があるのに、それを見ようともしないで、戦争法案だというレッテルを貼って反対する。他国の領土にズカズカ入ってきて、勝手に滑走路を作ったり、名指しで日本の名をあげて軍事パレードをしてる国である。
彼らが言うには、お隣の危険な国は攻めてこない。
どこか別の国や地域で、日本が戦争をはじめて徴兵になったら大変だという、そんな論旨である。
この理屈はファンタジーを通り越して、妄想としか言いようがない。
妄想をカタチにするのはアーチストの仕事ではあるが、それは作品の中だけに留めておきたいものだ。
平和運動や非暴力を看板にするアーチストや文化人の傾向には、流行もあるのかもしれない。
反対にフランスなどではアーチストが参戦するケースが多い。
マネは普仏戦争に自ら参戦し、その時のケガが元で亡くなっている(NHKの日曜美術館じゃ、そんなこと言わないけどね)。
おなじ普仏戦争では、かのオーギュスト・ルノアールも出兵している(志願ではなかったようだが)。
ほかにもヴァロットン、サン=ティグジュペリ、近いところではかのバルテュスも同様だ。
アーチストが参戦するフランスの方が良いとは言わないが、少なくとも「現実」を見てるのはフランスの方だろう。
今の移民問題を見てもわかるように、他国や異民族と陸地で接している欧州の人は、国家も家族も自分の身を持って守らなければいけないを肌で知っている。
一方でわが国は、海に囲まれていることもあって、ひとたび平和な時代がはじまると長いこと続くから、どうしてもそのあたりが現実的じゃなくなるのかもしれない。
まったく、そこのアナタ。
中国人民解放軍が攻めてきた時に、あの人たち相手に9条で止められると思いますか?
「酒を酌み交わして話合う」と言ってた若者がいたけど、そんなヤツに限って殺されそうになったら、真っ先に裏切って中国共産党の手先になってしまいそうだ。
あ、すでに手先だったりして(苦笑)。
なんて、時々そんな忸怩たる思いをしています。
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