4ヶ月半ぶりに給湯器が入って喜ぶ間もなく、地震による停電と昨日の節電の訴えは、わが家にとって“ええ加減にせえよ”という感じでした。
マンボウも解除されてすぐに、政府も公共機関もお願いするばかりで…そこまで国民はガマンしなきゃいけないのでしょうか?
東日本大震災の時の電力不足から11年。
エネルギー確保がこのように脆弱なまで、この国はこの先いったいどうなるのかと不安になる人も多いでしょう。
考えてみれば先の大戦の大きな開戦理由は、当時わが国がABCD包囲網により石油を止められたことでした。人類の歴史上、戦争の原因は大まかに言うと2つしかなく、それは「エネルギー」と「 宗教」です。
つまりエネルギーは人類にとって、最も争いの原因となるモノなのです。
その石油の確保が原因で、どれほど多くの日本人が命を失っていったことか。
そうやって命を失った先人たちのことを考えると、今回の節電のお願いはあまりに情けない話です。
よく、「北海道で暖房が使えないのは死を意味する」と聞きますが、それは北海道に限ったことではありません。エネルギー(食料など、あらゆるものを含む)が確保できないのは死を意味するのです。
国民に「お願い」で済まされる話ではありません。続きはまた後日。
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