昨日は夏真っ盛りの中、午前中はアークヒルズのマルシェで野菜を買い、午後は地元のハナマサで肉を買うという食材ゲットの日でした。
暑さには肉!
ハナマサで鶏モモ肉を買い、今日は唐揚げをやるぞと意気込んで、赤坂サカスの中を抜けようとすると、妻が「半額だって」と引き留めました。
見れば、昨年サカスに入った鰻屋「ふきぬき」が、うなぎ弁当を半額で売ってるではありませんか!
梅の正価が1,980円、竹の正価は4,200円。
唐揚げを作るのに一人一つは多いですが、一つを3人で分けるのはビンボーくさい。
私たちは梅を二つ頂くことにいたしました♪
▲過去からやってくる「恐れ」、未来からやってくる「不安」。
そこから脱却する知恵がこの本には詰まっています▲
ところで周知のように、昨日は土用丑の日で鰻屋は書き入れ時ですね。
ふきぬきさんも大勢お客さんがが入っていたし、スーパーでも「土用丑の日」を宣伝しまくっておりました。
「土用丑の日…江戸時代、夏になると売れなくなる鰻を何とか売りたいと、鰻屋のご主人から相談を受けた平賀源内が『土用丑の日と言って宣伝したらどうだ』と提案したところ、これが大ヒット! 土用丑の日の元になったと言われています」
ところが、定説と言われている「土用丑の日は平賀源内を作った」という話は、私が記憶するところ、ここ20年から30年くらいのことですね。
私が大学院時代に取っていたゼミで、山東京伝の「江戸生艶気蒲焼(えどうまれうわきのかばやき)」を学んだことがありました。
大金持ちの息子でブ男の艶二郎(えんじろう)という男が、何とか女にモテようと奮闘努力をする話で、その中で教鞭を取っていた先生から…
「土用丑の日という言葉を作ったのは山東京伝だよ、今で言うコピーライターかな」
そう教わったものでしたから、ずっと私は「『土用丑の日』のコピーは山東京伝」と思っていました。それがいつの間にか平賀源内ということになり、読売新聞のような大手も記事に堂々とそれを書くようになっていったのですね。
実際に「土用丑の日、平賀源内説」は、源内の死後に言われるようになったそうで、おそらくは弘法大師伝説のようなものでしょう。
一方で、そのゼミの先生が言ったように「土用丑の日、山東京伝説」も、ハッキリしないようです。「江戸生艶気蒲焼」には、鰻の産地を当てる食通自慢の場面はあるそうですが、「土用丑の日、山東京伝説」を裏付ける資料はなさそうです。
まあ源内だろうと京伝だろうと、そんなの誰でも良いのですが、どなたか詳しい専門家の方がいればご教示願いたいものです。
え?
そんなことより「ふきぬき」の鰻はどうだったって?
そりゃもう…柔らかで上品な味わい♪
ちょうど神谷町の野田岩みたいな食感の、それは美味しいウナギでございました。
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