私が子供だった時分、よく親父は”大相撲が前近代的だ”、という話が出ると「いまだにチョンマゲ結ってる連中だ。何つまんねえこと言ってやがる」なんて言っておりました。
父は学者でしたが、浅草生まれで家では口が悪かったけど、子供心にそうだなと思ったものです。だから女性知事や女性市長などが「土俵で挨拶させて」というのは、土俵の神さまに失礼だと思っております。
でも先日の救急のように人の命がかかった場合は、話が別ですね。土俵の神さまだって、「いいから早く助けてやれ」と言うに違いありません。
舞鶴市長も一命を取りとめたから良かったけど、もしもという時は世間の非難が大変だったでしょう。ああいう時、協会はダメですよね。
ただ、この話。色々と問題が違う方向に行ってるように思えます。
何と言うか、違う価値観でモノを言っているので、話がかみ合ってないというか。
緊急事態で女性医師が土俵に上がるのと、平時に女性市長が土俵に上がるのでは、問題が違います。
それを「民主主義の世の中なんだから、普段かも女性を土俵に上げなきゃダメ」というのは、話がややこしくさせるだけなんだけどなあ(苦笑)。
でも、この話。いつまで経っても平行線だろうな。
この一件で、私は先日読んだ、飯山陽という若いイスラム研究家が書いた「イスラムの論理」という本を思い出しました。
読んで衝撃的だったのは、「基本的に私たち日本人の価値観で、イスラム教の基本的な考え方は推し量ることはできない」ことが理解できたことでしょうか。
オビの文言にもある「”イスラム国”のイスラム教解釈は間違っていない」は、同書を読めば、まさにその通りであるのですが、それは私たちの価値観と相容れません。
(どう違うのかは、本書をお読みくださいませ)。
まあ、そこまで価値観の違いはないにせよ、人どうしの話がすれ違う理由が少しわかった気がしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます