小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

大相撲「女性は土俵を降りて」で、飯山陽の「イスラム教の論理」を思い出しました。

2018-04-06 12:01:38 | Weblog

大相撲「女性は土俵を降りて」アナウンスへの批判

 私が子供だった時分、よく親父は”大相撲が前近代的だ”、という話が出ると「いまだにチョンマゲ結ってる連中だ。何つまんねえこと言ってやがる」なんて言っておりました。

父は学者でしたが、浅草生まれで家では口が悪かったけど、子供心にそうだなと思ったものです。だから女性知事や女性市長などが「土俵で挨拶させて」というのは、土俵の神さまに失礼だと思っております。

でも先日の救急のように人の命がかかった場合は、話が別ですね。土俵の神さまだって、「いいから早く助けてやれ」と言うに違いありません。

舞鶴市長も一命を取りとめたから良かったけど、もしもという時は世間の非難が大変だったでしょう。ああいう時、協会はダメですよね。

ただ、この話。色々と問題が違う方向に行ってるように思えます。
何と言うか、違う価値観でモノを言っているので、話がかみ合ってないというか。

緊急事態で女性医師が土俵に上がるのと、平時に女性市長が土俵に上がるのでは、問題が違います。

それを「民主主義の世の中なんだから、普段かも女性を土俵に上げなきゃダメ」というのは、話がややこしくさせるだけなんだけどなあ(苦笑)。

でも、この話。いつまで経っても平行線だろうな。

この一件で、私は先日読んだ、飯山陽という若いイスラム研究家が書いた「イスラムの論理」という本を思い出しました。

読んで衝撃的だったのは、「基本的に私たち日本人の価値観で、イスラム教の基本的な考え方は推し量ることはできない」ことが理解できたことでしょうか。

オビの文言にもある「”イスラム国”のイスラム教解釈は間違っていない」は、同書を読めば、まさにその通りであるのですが、それは私たちの価値観と相容れません。
(どう違うのかは、本書をお読みくださいませ)。

まあ、そこまで価値観の違いはないにせよ、人どうしの話がすれ違う理由が少しわかった気がしました。

相撲の話とすり替わってしまいましたが、興味持って頂いた方はぜひご一読を。

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