昨日と一昨日、父・小暮陽三の通夜と葬儀が東京・千駄木の道灌山会館にて
しめやかに行われました。
父は安らかな顔をして眠っており、幸せな立派な生涯だったと思います。
お忙しい中、葬儀にお越しくださったみなさま、
電報やメールを下さった方々には深く御礼を申し上げます。
近日、個別に御礼を申し上げますが、ここに感謝の言葉を述べたいと存じます。
写真は父のブラジルにいた時のもの。
ちょうど大阪万博の年、1970年だから43歳の時の写真です。
実は退色がひどかったので、母に頼まれデジタル加工をして、
入院中の父に見せたものです。
それがわずか10日ほど前・・・まさかこんな早くお骨になるとは思いませんでした。
医師から「不死身」と呼ばれ、あしたのジョーのように何度も起き上がってきた父ですが、
最期は意外とアッサリ旅立ってしまったもの。
まあ、親爺らしい最期だったと思います。
のどぼとけの骨は完璧な形で残っていましたから、満足して逝ったのかもしれません。
しめやかに行われました。
父は安らかな顔をして眠っており、幸せな立派な生涯だったと思います。
お忙しい中、葬儀にお越しくださったみなさま、
電報やメールを下さった方々には深く御礼を申し上げます。
近日、個別に御礼を申し上げますが、ここに感謝の言葉を述べたいと存じます。
写真は父のブラジルにいた時のもの。
ちょうど大阪万博の年、1970年だから43歳の時の写真です。
実は退色がひどかったので、母に頼まれデジタル加工をして、
入院中の父に見せたものです。
それがわずか10日ほど前・・・まさかこんな早くお骨になるとは思いませんでした。
医師から「不死身」と呼ばれ、あしたのジョーのように何度も起き上がってきた父ですが、
最期は意外とアッサリ旅立ってしまったもの。
まあ、親爺らしい最期だったと思います。
のどぼとけの骨は完璧な形で残っていましたから、満足して逝ったのかもしれません。
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