インドのプリーでホテルを経営する日本人妻のブログを読んでいたら、
24年前に偽マイケル・ジャクソンがコルカタのサダル・ストリートで人気だった話が出てきました。
マイケル・ジャクソンはインド映画のヒンディーダンスの影響を受け、
さらにインド映画はマイケル・ジャクソンの影響をさらに受けているのは有名な話。
サダル・ストリートは日本でいうと六本木や歌舞伎町の一部みたいなもので、
外国人ツーリストが一度は立ち寄るところで、地元のインド人は名前を聞くと顔をしかめる場所でもあります。
「そういえば・・・」と、20年前はじめてインドに行った時に、
ウッティというデカン高原の町で見かけた偽マイケル・ジャクソンを、
日記に描いたことを思いだし引っ張り出してみました。
幸い日記はすぐに出せる場所にあって、ページをパラパラめくってみたら、あった、あった!
この前日、衛星放送でマイケル・ジャクソンのステージをインド全国放送していたらしく、
インドのどこでも、こんな偽マイケル・ジャクソンがいたのでしょう。
マイケル人気、絶頂の時でした。
写真はその日記の一部。「ひょうきん族」なんてレトロな単語も使われていますね。
あの頃・・・80年代というのは、それなりに悩みもあったが日本は活気のあった時代でもありました。
バックパッカーとして外国に行くのも流行っていて、イタリアもスペインも物価が安かった。
私がはじめて社会に出たのは26歳の時(浪人2年、大学院2年。穀潰しダナ)、
「この年まで好きなことをやったんだから、一生好きなことをやるぜ~!」
なんて能天気なセリフを吐いたことを覚えてます。
まだ26歳で「この年まで」もないもんだが、その時はそれなりの年齢だと思っていたわけだよね。
で、たしかに今のところ、ほぼ好きなことで飯を食っているわけだけど、
いや~そんな甘いもんじゃなかったし、これからだってもっともっと厳しくなるでしょう。
でも、ものごとは甘く見てないと次のステップに進みにくいから、仕方ないなって気もしますけど。
あの後、バブルがきて長い不況が続いたわけだけど、
そんな意味でもマイケル・ジャクソンは時代の象徴だったような気がします。
いや、今更ながら。
24年前に偽マイケル・ジャクソンがコルカタのサダル・ストリートで人気だった話が出てきました。
マイケル・ジャクソンはインド映画のヒンディーダンスの影響を受け、
さらにインド映画はマイケル・ジャクソンの影響をさらに受けているのは有名な話。
サダル・ストリートは日本でいうと六本木や歌舞伎町の一部みたいなもので、
外国人ツーリストが一度は立ち寄るところで、地元のインド人は名前を聞くと顔をしかめる場所でもあります。
「そういえば・・・」と、20年前はじめてインドに行った時に、
ウッティというデカン高原の町で見かけた偽マイケル・ジャクソンを、
日記に描いたことを思いだし引っ張り出してみました。
幸い日記はすぐに出せる場所にあって、ページをパラパラめくってみたら、あった、あった!
この前日、衛星放送でマイケル・ジャクソンのステージをインド全国放送していたらしく、
インドのどこでも、こんな偽マイケル・ジャクソンがいたのでしょう。
マイケル人気、絶頂の時でした。
写真はその日記の一部。「ひょうきん族」なんてレトロな単語も使われていますね。
あの頃・・・80年代というのは、それなりに悩みもあったが日本は活気のあった時代でもありました。
バックパッカーとして外国に行くのも流行っていて、イタリアもスペインも物価が安かった。
私がはじめて社会に出たのは26歳の時(浪人2年、大学院2年。穀潰しダナ)、
「この年まで好きなことをやったんだから、一生好きなことをやるぜ~!」
なんて能天気なセリフを吐いたことを覚えてます。
まだ26歳で「この年まで」もないもんだが、その時はそれなりの年齢だと思っていたわけだよね。
で、たしかに今のところ、ほぼ好きなことで飯を食っているわけだけど、
いや~そんな甘いもんじゃなかったし、これからだってもっともっと厳しくなるでしょう。
でも、ものごとは甘く見てないと次のステップに進みにくいから、仕方ないなって気もしますけど。
あの後、バブルがきて長い不況が続いたわけだけど、
そんな意味でもマイケル・ジャクソンは時代の象徴だったような気がします。
いや、今更ながら。