浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

たまにきず

2010-06-10 21:52:40 | 日記
「たまにきず」って言葉を目にして、思考が暴走しました。

「たまにきず」って言葉だけど、普通、「あの人基本的にいい人なんだけどたまーにダメなところあるのよね~」って言う意味だと思っちゃうよね。

でも実は違うんです。

「たまにきず」という言葉を漢字で書くと実は「玉に瑕」で、×「偶に(ときたま、まれに)瑕」は間違いなんです。

「玉」は本来は「宝石、貴石」で「完璧に素晴らしいもの」という意味。

つまり「玉に瑕」は「本来、完璧に美しいものに少し瑕があって残念な様」ということなんですね。

だから「彼女はこういうところが玉に瑕だよね」という言葉の裏にはその人を基本的には「玉」、完璧に素晴らしいものだと思っている、という意味がある。

こういうのを「言葉にはしてないけど含んだ意味」ということで「含意」と言います。この含意に関する「会話の法則」というのもかなり面白いんだけど今回は割愛。

うーん、勉強になりますねぇ。

それで思い出したのが将棋。

将棋というと「王」と「玉」があるよね。

そもそも将棋って「王様」がいて「歩兵」がいる、戦争ゲームだと思うかも知れない。

そうすると「王」が基本でそれと区別つけるために「玉」を作った、と思うかも知れない。

こういう関係を言語学的には「有標(marked)/無標(unmarked)」と言います。

つまり言葉の基本は何も標がついてないものがあって、それと区別するために標がついた言葉が生まれる、というもの。

たとえば、「電話(無標)」という言葉があって持ち運べるようになると「携帯電話(有標)」という言葉が生まれる。つまり、「電話」という無標の言葉に「携帯」と言う「標」をつけて区別するということ。「ガンダム」という言葉があってそれの派生として「Zガンダム」という言葉が生まれたようにね。

こんな感じ。

この「有標/無標」に関しては大学の頃、言語学の授業で初めて「言語学っておもしろーい」と思ったんでよく覚えている。

更にこの関係の面白いのが「有標の単語が無標で通じるようになると無標だった言葉に標が必要になる」ということ。これは僕のオリジナルな理論だけど。

どういうことかというと現代では「電話」と言えば概ね携帯電話のことを意味してる。そうなるともともと無標だった「電話」つまり家庭用電話には「家用の」という意味の標をつけないと通じなくなってしまう。まぁ「いえでん(家電)」とかって言葉がそうですね。

これ面白いでしょ。

特に面白いのはガンダム。ガンダムは当然最初はオリジナルのガンダムしかなかったわけだけど「Z」だの「百式」だのいろいろ出てくると元の「ガンダム」を表すのに「ガンダム」では通じなくなって「ファースト」だの「無印」だの言わなきゃいけなくなってしまった。

で、将棋の話に戻る。

将棋は「王」が基本、と考えるとまぁ戦争のゲームかな、と思ってしまう。そうすると「歩」は「歩兵かな」と説明が出来るんだけど、それ以外が一気に説明できない。金って何?角ってなに?ってね。

でも「玉」が基本と考えるとそれが全部説明出来るんです。

将棋はメインの「玉」つまり貴重な宝石。

玉の次に大事なのが「金」これはこのまま金塊、次に「銀」、それから「香」は「香料」、これだって昔は貴重だった。「桂」は「肉桂」つまりニッキ、シナモン。これも貴重なもの。

そしてそれらを守るのは「飛」これは飛べるので竜、と、「角」これは角を持ったサイ、という猛獣。

その前に「歩」、歩兵がいる。

つまり将棋は貴重品の奪い合いなんだよね。(ま、色々ある説のうちのひとつなんだけど)

それで両方、「玉」だと区別がつかないので片方は「点」を落として「王」にした、と。

だから将棋においては「玉」が無標で「王」が有標ということになる。

面白いですねぇ。

まぁ、僕はこういう話をしだすと止まらないのが玉に瑕。

(自分で言うな)