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浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

やっぱりアウトプットが大事なんだ

2010-10-17 00:57:54 | 
先日読んだ「下流志向」つながりで著者の内田樹という人のブログ読んでたら「そうそう、そうなんだよ~」とニヤニヤしてしまう話を見かけた。

内田樹が池谷祐二という脳学者の実験結果を紹介している文。

ちなみに池谷祐二という学者もめちゃくちゃおもしろいんですよ。ほぼ日で結構対談しているんでぜひぜひ。→「脳の気持ちになって考えてみてください」

で、内田樹のブログから簡単に引用。
(内田樹の研究室:「池谷祐二さんの講演を聴く」より)
---
スワヒリ語の単語40個を覚えてそのテスト結果を調べるという実験。勉強方法とテスト方法の組み合わせで4つのグループに分けた。

1つ目のグループ。テストをして40個のうちひとつでも間違いがあれば「40個全部を勉強し直し」。「更に40個のテストを受け直し」。
言うなれば一番「まじめ」なグループ。

2つ目。テストをして間違った単語があったらその「間違った単語だけを勉強しなおし」。テストは「40個全部のテストを受け直し」。

3つ目。間違ったら「40個全部を全部勉強しなおし」、テストは「間違った単語だけをテスト」。

4つ目。間違ったら「間違った単語だけ勉強し直し」、テストは「間違った単語だけをテスト」。これが一番「手抜き」。

さて、まず、この実験スタートして、全員がテストで全問正解をするまでの時間に大きな差は無かった。

はっきり言ってしまうと「まじめにやろうと手抜きをしようと結果はそれなりに一緒」ということ。

でも、時間が経つにつれて変化が出る。この実験が終わって数週間後、改めて同じテストをしてみる。

すると、1つ目の「まじめ」グループの成果率は81%、「手抜き」グループ36%。

やっぱりまじめにやってると報われるし手抜きをするとそれは結果に出る。

さて、おもしろいのはここから。

2つ目グループ(間違ったとこだけ勉強×全部テスト)と3つ目グループ(全部勉強×間違ったところだけテスト)では数週間後の結果はどうだったか?

答え:2つ目=81%(まじめグループと一緒)、3つ目=36%(手抜きグループと一緒)
----

これ読んで僕は飛び上がるくらいうれしかったね。

何故かと言うと僕が高校生の頃の英語の勉強の仕方がまさに2つ目グループと一緒だったから。

何度か書いているけど勉強の基本は「アウトプットを前提とする」ことだと僕は思うんですよ。

いくら本を読んでもその先にアウトプットが無ければその知識は生きない。少ない時間でもアウトプット、ここで使うんだ、ということを意識して勉強すればそれは脳に残るし使える知識になる。

上記の2つ目グループは「インプット量は多くないけどアウトプット量が多かった」んだよね。

僕が高校生の頃、英単語の覚え方がまさにこれだった。

元来面倒くさがりだったので、「受験には3000単語くらいは覚えてないとダメだ」なんて話を一切信じなかった(というより、信じたくなかったというのが正しいか)。そこで「最低これだけ受験必須英単語1,300」とかいう単語集を買ってきた。なにより3,000が1,300なら半分以下だからね、ありがたい。

それで頭っからその英単語を覚えていく。毎日、自分で1ページ分それをテストする。

そして間違えたものがあったら何回か書いて練習する。

その次の日はまたおなじくテストをするんだけど、次は昨日の1ページ+今日の2ページ目、という具合に頭っからテストする。

はっきり言って受験間際にはその1,300個頭から空で言えるくらい覚えたけどね。

単語をこれでやって少し経って模試なんかでもいい点数取れるようになったんで「うん、この方法間違ってないな」と思ったから文法もこの方式で行くことにした。

「速戦ゼミ」という問題集(学校で勧められた)を1ページ目から自分でテストしていく。間違えたものは何回か書いて練習。次の日は1ページ目と2ページ目をテスト…、っていう風にね。

だからその単語集にしても問題集にしてもいまだになんとなくほんとうっすらとだけど覚えている。問題集のほうは1問目は「いちど何々したら」って問題で答えは「once」、2問目は「これを試着してもいいですか?」で「May I try it on.」

こういう勉強の仕方を自分なりにやったので、上のスワヒリ語の実験を観て2つ目のグループが成果が高くてすごくうれしかった。「やっぱりな~俺のやり方間違ってなかったじゃん」ってね。

つまり「勉強」ってインプットは「テスト」というアウトプットに向かってないと効率的じゃないのよ。

そしてね、もう一つ話を進めると、これこそ勉強の価値なんですよ。

はっきり言ってこういう勉強の仕方で僕が勉強した内容(たとえばMay I try it on?という構文とか)なんてはっきり言って今日の僕に役立ってるか、と言われると役立ってない。つーか今までの人生で店に入って「試着していいですか?」なんて英語で言った覚えすらない。

あんなに一生懸命覚えた英単語だって、たとえばあの単語帳の2ページ目の最後に書いてあった「atmosphere」なんて今までの人生でこんな単語使ったこともたぶんないよ。一生懸命覚えたんだけどね。

でもね、それより大事なことを僕は学んでるんです。

つまり、「なんかを必死に覚えようと思ったら『まずテストして間違えたところだけ練習してそのあと全部テストし直す』というやり方が一番いいな」ということ。

これだけでもね、大学卒業してから生きていくのにすごく役だった。

学校で学ぶことってこういうことだと思うんだよな。

それに何の得がある?という問い

2010-10-13 23:14:32 | 
秋ですね、って言葉から始めたいけど大阪は結構暑かったよ。たまに上着脱ぎたくなるくらい。

大阪で同僚と飲んでたら栗をお裾分けしていただきました。なんか知り合いと栗拾いに行ってきたみたいで。

つーことで今日のご飯は栗ご飯。おかずは肉じゃが。牛肉を冷凍しといたのあったから。

それからルクエのスチームケースで簡単に蒸し野菜。今回はキャベツ、シメジ、にんじんにさっとトマトジュースかけてトマト風味にしてみました。ニンジンが肉じゃがと蒸し野菜でかぶってるけどあんまりお気になさらずに。

残ったトマトジュースはビールを割ってレッドアイに。

で、話はいきなり変わって本の話。

新大阪駅でふとこの本買いました。


この内田樹って人の本は「日本辺境論」ってのも読んだけどとにかく説得力があるなぁ。

今回の本のテーマは「何故若者は勉強と労働から離れていくのか」ということ。

読みながら「うん、なるほど!」と思った。

簡単に言うと今の子供たちが「学ばない」理由は「それを学んで自分に何の得があるのか?」という問いに社会が答えられないから。

そりゃそうだよね。仮定法過去だの二次関数だのって「それ学んでなんの得があるの?」ってことに明確に答えられる人なんていない。

経験則では皆それなりに答えられるかもしれないけど何かしらの保証が出来る人なんていない。だって「テストでいい点数取ったらいい大学に入れていい会社に入れるよ」って答えたところで「そんなことない。だって東大出たってリストラされてる人がいるじゃないか」と言われたらおしまいでしょ。

でもね、そもそも「それを学んで何の得がある?」という問い自体が「学ぶ」ということは何の関係もない。

こんな問いを出してくることは明確に「資本主義」あるいは「貨幣経済」によるものだとこの本では述べている。

つまり、資本主義あるいは貨幣経済においては常に何かの商品を手に入れようとしたら買い手は「その商品を買ったら自分にどんないいことがある?」とまず問わなければいけない。そう問わない人間はこの経済では明らかに「損」をする。

一方売り手は買い手の「どんな得がある?」という質問に明確に答えられなければいけない。

その社会に慣れてしまったがために「教育」という本来であれば価値基準が無いものにすらその問いが生まれてしまった。

故に若者は学ばない。QED.

そりゃそうだよなぁ。

こういうの読むとやっぱり本質的に資本主義ってもう限界なんじゃないかと思っちゃうよね。僕自身は共産主義者でも社会主義者でも無いしそれなりの普通の日本人だと思うけど、それでもねぇ。

とにかくまぁそういうこといろいろ考えさせられるいい本です。

アフター・マイ・シスターズ・ウェディング

2010-09-28 23:24:23 | 
あのロマンティックコメディ「マイ・シスターズ・ウエディング」の続編「アフター・マイ・シスターズ・ウエディング」 がいよいよ登場。前作主演のアン・ハサウェイ、ヒュー・グラントに今作では映画版特攻野郎Aチームのフェイス役で好評を博したブラッドレイ・クーパー、「それでも恋するバルセロナ」のハビエル・バルデムも加わり妹の結婚式は更にドタバタに!?

…ってのは妄想です。前も書いたけどマイ・シスターズ・ウエディングってロマンティックコメディのタイトルにありそうじゃない?

つーことで、先日、妹の結婚式に出て来ました。

これが楽しくてさ~。今まで色んな結婚式出たけど、一番楽しかったね。まず、親族ってことで色んな人が酒注ぎにきてくれるわけさ。自分が注ぎに行ってもみんな、おめでとうおめでとうって言ってくれるしね。

普段あんまり会わない親族(叔父叔母)もいて楽しかったし。

何より嬉しかったのは新婦がお色直しで退場のとき、サプライズで僕ともう1人の妹(新婦の姉)が呼ばれて兄妹三人で手を繋いでさ~。そんなの20年ぶりくらいだからお兄ちゃん感動ですよ。

いや~楽しかった~。もう二、三回やってくれてもいいよ。

今回結婚したのは一番下の妹。末っ子だから、ってこともあるけど、この人はほんと愛されキャラなんです。人を嫌わないし、人からも嫌われない。

で、今回の結婚式で、「あ~だから彼女は人から愛されるんだな」って気付いたことがあってさ。

すべて細かい所まで気を使ったいい式だったんだよね。

さっきのサプライズも僕と姉に花を持たせる新婦の気遣いだし。

料理でオマール海老が出たんだけど、僕の隣に座ってる義理の弟(真ん中の妹の旦那)だけオマール海老じゃなくて白身魚だったの。あれ?と思ってたら彼は海老食えないんだって。

そういうことまで考えて気を使ってるんだもの、そりゃ気をつかわれた方は嬉しいよね~。で、結果として愛されるんだろうね。

式場の細かい所にも新婦が作った花とかちょこちょこ置いて合って。

決して勉強が出来るわけじゃないし、いい学校出てるわけでもないけど、そういう気を使えることのほうがよっぽど大事だと僕は思うね。

そりゃ、親の育てが真っ当だった、ってことだろう、我が親のこといって申し訳ないけどさ。

なんてこと考えて最後の二人のムービー観てたらそりゃお兄ちゃん号泣ですよ。


この写真、我ながら良くないですか?旅立っていく若いカップルを見送る兄の視点からの写真として。

父と子と、あと何か

2010-09-02 00:46:30 | 
ひょんなひょうしで見つけました。


肺がんで死にかけている団塊元東大全共闘頑固親父を
団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!
「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!」


長いタイトルだな。。。

どういう話かと言うと(ほとんどタイトルがすべてだけど)、60代で昔ばりばりの学生運動家の父がガンで先が長くない、というタイミングでその息子が父の60年代を対談形式で聞き倒す、というもの。で、その内容をネット上で公開している。

更にこれ単行本にもなってるらしい。
お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!
単行本にもなるくらいのたっぷりの分量なんだけど、移動中なんかに携帯で読み終えました。活字中毒の人にはいいですよ、文字がたっぷりあって。

さすがに父はばりばりの学生運動家だけあって、当時の世相(学生運動とかベトナム戦争とか共産主義とか)の知識がたっぷりある。フランス革命から始まりソ連崩壊までの歴史ってのをざっくり説明してくれてるのはありがたいよ。

で、それだけじゃなくて近代思想だとか哲学だとかの話にもわき道に逸れていってそれがまた興味深い。
冷戦時における核戦略史とか、デジタルディバイドよりランゲージディバイドのほうが深刻だ、とか、いろいろおもしろい話を読めた。

語り手は父で、一方聞き役である息子は1974年生まれということだからほぼ僕と同世代。

この団塊世代の父と団塊ジュニアの息子、という関係は僕と僕の父とほぼまぁ同じ。

(厳密に言うと1974年生まれは団塊ジュニアで、1975年生まれはポスト団塊ジュニアだけど、まぁそこまで細かく分けても意味無いからね)

息子のほうは少なくともこの対談においてはほぼ僕らと同じ知識で、やっぱり父の言葉で「それなに?そんな言葉知らないけどどういうこと?」と素朴な質問を投げかけたりしてて、それがまた僕らに取っては理解の促進になる。

話がとてもおもしろいけど、それ以上にやっぱりこの「父と子」の関係がおもしろい。

気持ちとしては非常によく分かるんだもの。

僕と僕の父も別に仲が悪いってわけじゃないけど「父と子」ってどうも愛憎半ばするというか照れもある感じでまともな話ってあまり出来ないじゃないですか。

だからね「父と子」の間に何かを置くと喋りやすくなる、という気持が分かるんだよね。何というか「父と子と聖霊」で三位一体論みたいな話だけどさ。

ちょっと前にドッピオさんと一緒に僕の実家行ったけど、僕と父の間に他者(この場合ドッピオさんね)が入ると僕も父もよく喋るけど、二人だけだとねぇ、あまり話は弾まないよね。父は「基本的にずっと喋ってる」って人なんで僕が返事しなくてもずっと喋ってるわけだけど。

この本でも父と子はよく喋ってるけど、これもたぶん「父の60年代」というテーマが無ければこんなに話は弾まなかったんじゃないかな。

Firewoks

2010-07-31 16:08:25 | 
台東区浅草に住んでもう5年くらいになるのかな。

浅草の夏と言えばなんたって隅田川の花火大会です。

うちのアパートは屋上があって、洗濯物干したりしながら「あー、ここから花火見えるのかなぁー」と考えたりする。

角度的には見えてもおかしくないんだけど決して高い場所では無いんで見えないかも知れないし。。

うちのアパートの屋上から花火を見たことはないんだよね。

だいたい花火大会の日に(地元にいるなら)、昔だったら会社の屋上が開放されてたんでそこで見たり、友達の家で見たり。去年の友達の家はまさに打ち上げ場所の真向かいで最高にダイナミックだった。

花火の日はさすがに混むので、めちゃめちゃに混んだ道路を眼下に眺めながら屋上でゆったり「ビールうまいねー」なんて言っているのはやっぱり地元民の特権ですよ。

恋人と一緒に見れたらそりゃ最高だけどそういう経験は一回しかない。(さーせんね、どうも)

今年は会社の人と「うちの屋上で花火見ません?いや、見えるかどうかは僕もわかんないんですけど」という無責任な誘い方をしてたんだけど、みんな出張で都合が悪そうで結局一人。

ま、一人で「本当にうちの屋上から花火は見えるのか」という疑問を解決するために家の屋上から見てみようと思ってます。

そんな土曜日、7月31日。

そうか、、

2010-07-29 21:46:08 | 
最近、本の話ばっかりだけどなんでかと言うとパソコン買い換えてDVDドライブついてないのにしたのね。

だもんだから、出張で出てるとDVDが見られない。なんで本ばっかり読むことになる。

家にいるときはDVDも見てるんだけどね~。

つーことで今日も本の話。


金魚は一匹で金魚鉢で飼うよりも、金魚鉢にオスメスのつがいを入れて飼った方が長生きする。

更に言うと、そのつがいのオスを殺してもメスは生き続ける。

でもつがいのうち、メスを殺すとオスは弱って死んでしまう。

そんな実験結果があったと思う。

(こういう話、僕はそもそも事実関係を間違えて記憶してたりするし、たまに事実よりおもしろいように喋る傾向があるのであんまり信用しないでほしいけど)

この実験結果が僕の記憶違いかどうかは定かではないけど、これって「そりゃそうだろうなぁ」と納得できるものじゃないですか?

個人的な意見だけど、オスって遺伝子的にはぜったいに不完全で、すごく弱い生き物だと思う。もちろん人間のオスもね。

その弱い人間のオスが、弱いからこそ論理や力で武装をしてきた、というのが人類史だと僕は思ってます。

この本を読んでそういうことを思い出した。

そうか、もう君はいないのかそうか、もう君はいないのか

城山三郎、という作家がいてその作家はかなり硬派な経済小説を書く人。

その人が奥さんに先立たれた後、その思い出を綴った手記。

奥さんとの出会い、奥さんとの生活、そして別れまでが書かれている。

多くの男に取って愛した人に先立たれる、と言うのは常に心の底にある「恐怖」の一つだと思う。もちろんそれは女性に取っても「旦那さんに先立たれる」ということで変わりはないんだろうけど、男の僕の気持ちとしては「いや、奥さんに先立たれた男性のほうがつらいんじゃないかな」と思ってしまう。(偏見だったらすいませんね)

タイトルがいいよね。

「そうか、もう君はいないのか」

作者は奥さんが亡くなった後、何度もこの言葉を口ずさんだんだろう。

桜を見れば「ああ、桜がきれいだね、、、そうか、、、」、冬になって雪が降れば「今日は雪だね、、、そうか、、、」、なにかおいしい物を食べたら「これ美味しいなぁ、、、そうか、、、」と。

もちろん僕は結婚したことがないから奥さんに先立たれたことはないけど、それでもすごく好きだった人と別れた後にそういう気持ちになったことはある。僕の気持ちなんて奥さんを亡くした人に取ってみれば取るに足りないものだけどさ。

その人と一緒に行った場所にふとたどり着いて「ああ、もうあの人はいないんだな」と思ったり。


本の中で作者の奥さんと言うのは非常にチャーミングに描かれてる。

でも僕は思うんだけどその奥さんが殊更チャーミングだったわけじゃないと思うんだよね。

どんな女性もある一面においては非常にチャーミングじゃないですか。そして奥さんを失った後に、作者に残っている思い出は、奥さんのチャーミングな部分だけだったんじゃないか、と思う。

作者は昭和一桁生まれの人で、海軍にもいたからいわゆる「日本男児」でマッチョと言えばマッチョなんだろうけど、それでも心の中には奥さんのチャーミングな面だけを記憶している、というロマンティックさがあるんだね。

そういう面においては男性ってすべてロマンチストなんじゃないかと思うね。

辺境にて

2010-07-28 18:51:11 | 
「朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。」

友達が遠くからやってきたら楽しいなぁーってことですな。

こういうパターンだといくらでもできそうだね。

「夏の暑い日にカレー食べる。亦楽しからずや。」とかね。

もうちょっとアカデミックに行くなら

「朋有り本を薦めてくれる。亦楽しからずや。」

なんてどう?

友人から本を薦められるってのは楽しいもんだからね。

まったくほんと夏休みってのは本がばんばん出版されてたまりません。

京極夏彦の「西巷説百物語」はそっこーゲットしちゃったし、塩野七生の「十字軍物語」もこれまた分厚い4巻シリーズで出そうでよだれがとまらんちん。

そんな中、先日お会いしたむめもさんから「内田樹はいい!」と強くおすすめされました。

(えーっとたぶん内田樹だったよなぁ、うろ覚えなんだけど、たぶん)

元々気になってたんで新神戸の駅の書店でゲットしてみました。

日本辺境論 (新潮新書)日本辺境論

「ゴミ掃除」は足下のゴミを拾い集めることから始めるように雑多な事象を集めることから始めてる日本文化論。

論理としては、とにかく日本人は「他国と比較する」ことでしか日本を語れない、ということ。

この論理は非常に納得できる。

だってね、明治維新だって「西欧列国に負けてはいけないだからなんとかしないと」と他国の比較で始まった。

そもそも「こういう国にしよう」という理念をたとえばアメリカは持ってる。なぜならアメリカはイギリスから反発した人々が海を渡って作った国だから。

言うなれば国より先にイデオロギーというか思想があった。

でも日本は違うよね。思想なんて言葉が出来るより前に人がいて生活をしていた。

そんな普通の生活をしている中で「そもそもあなたの国は何を目的にしてるんだ?」って言われても困ってしまう。

困ってしまう、と言い続けていてもこの国際社会の中では生きていけない。だからなんらかのイデオロギーや主張を無理くりにでも作り出さなくてはいけない。

そうなった時に我々日本人は「他国との比較」でしか語れないんだよね。

たとえば「経済成長率第二位の国として…」とか「アジアの中の一国として…」とか。

僕はそれを悪いことだとは全く思わない。だって言うなれば「生まれ」が違うんだもの。

これね、本当に良書で読んだ後には自分の知識が少ないながらも「学問」をし出したくなる。

つまり「問う」ってこと。

「アメリカとは違うのは分かった。じゃあイギリスはどうなんだろうか?」とかね。

本当はすっごくいろいろ考えたことがあって書きたいんだけど今はちょっと酔ってるから割愛。バーのマスターが異常に井筒監督に似てておもしろかったのさ~♪

俺が言うぞ、ダメなもんはダメって

2010-07-26 02:35:45 | 
あんまり味噌ラーメンって食べないけど三日月軒の味噌ラーメンはおいしかったなぁ、とかMy angels(友人の子供たち)は相変わらずかわいかったとか、なぜかモデルルームを2軒見てやっぱり家を買うなら札幌だよなぁと思ったとかいろいろあった札幌出張だけど、その話はまた今度にして今日は本の話。

なんたって札幌駅のすばらしいところは本屋さんの多いところだよね。

駅ビルに立派な本屋が二つあるし、駅の隣にはかなり立派な紀伊国屋書店がある。こんなに書店が充実した駅ってあんまり無いんじゃないかな。幸せだよね、札幌に住む本好きの方々は。

ネットで本を買うようになってずいぶん経つけどやっぱりちゃんとした本屋に行って新刊を物色してるとアドレナリンがぼーぼー出てくるね。

つーことでざくざくと本を買ってしまったうちの一冊。

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)

こう見えて仕事が教育関係なんです。(どの面下げてこの面下げて)

だからってわけじゃないんだけど、こういう本も読みます。

読んでもうほんと衝撃的と言うか「うむーーー」とうならざるを得ないと言うか。

もちろん高校を中退する人には様々理由があって、高校中退自体が悪いこととは僕は思わない。でもこの本で紹介されている高校中退者のインタビューはほんとうにうならざるを得ない。

やる気はあるのに高校中退というだけで「どうせバイトもすぐやめるんでしょ」と思われバイト先が見つからない、という人。子供の頃から親に虐待を受け一切期待されず高校に入り、高校の入学金も親は支払ってくれず、GWに退学するために必要な手数料を自らバイトして学校に持って行った、というのが初めての登校という人。。。

データを盲信するつもりは無いけど親の年収の低さと中退率が比例しているデータ。

通っている高校の偏差値が下がるほど生徒が「自分は親に期待されていない」と答える比率が上がるというデータ。それは結果として無気力に繋がり、授業について行けないという結果になり、更に勉強する意欲を奪っていく。そのスパイラルの結果は「中退」に繋がっていく。

もう本当に「どうすればいいんだろう?僕に何が出来るんだろう?」と思えてくる。

この本の中に例として少しだけ「面倒な生徒は早くやめさせたほうがいい」と言っている先生も出てくる。

仕事柄、学校の先生とも話をするけど断言してもいいけど僕が会っている先生たちの中でそんな先生は一人もいない。例外なくどの先生も「生徒たちをちゃんと教えたい、生徒たちの可能性を広げたい」と心から考えていつも(かなり大変に、忙しく)仕事をしている。

でも、この現実を変えられない。

生徒は僕らから見ればほんと取るに足らない(もちろん本人に取っては大きいんだろうけど)理由で高校をやめていく。

そして知識や教養が無いまま社会に出て行く。立派な知識が必要だと言っているんじゃない、たとえば九九とか、生活に必要な書類を書くこととか、避妊とかそういう知識。

そして多くの人が、本当に残念ながらこの社会の中で貧困に落ちていく。

印象的な言葉がある。

「貧困というのは『選択肢が狭まる』こと」

どうすりゃいいんだ?

少なくとも大多数の人が18歳の時に無限ではなくてもせめていくつかの選択肢とともに社会に出て行けるようになるには。

もちろん親も悪いだろう。それもそうだけど文科省もなんとかしてくれよ。みんな真っ当に教育受けて、頭のいい人たちのはずじゃないか。

僕の声なんて世界に取っては小さいけど僕は言い続けるぞ、自分のことは棚に上げまくって。

「勉強はしなきゃダメだ!理由なんてない、ダメなもんはダメなんだ!」

連載漫画なみに

2010-07-24 11:58:01 | 
僕にとっては「出たらすぐ買う」作家の一人、海堂尊。「チームバチスタの栄光」の人。

新刊出てました。
海堂 尊
講談社
発売日:2010-07-16



しっかしまぁこの人よう出しますな。2010年だけで「マドンナ・ヴェルデ」に続いて新作2作目。

よーっしゃどんとこい。

ほんとこの人の多作ぶりはどっかの誰かさんに見習ってほしいもんですわ。「鵺の碑」まだすか、京極夏彦。

この人、ほんとすごいのは全部の作品、登場人物や舞台が同じ世界なんだよね。なもんだから「あ、この人がこんなところで」という発見があって楽しいやね。

そういう「サーガもの」好きだし。

今回のは「ブラックペアン1988」という「チームバチスタ」の過去の話のシリーズ。このシリーズの主人公の世良先生はこのサーガの中でもかなり好きだなぁ。現在は極北市にいるはずでその話の続き早く書いてほしいけど。

登場人物は紋切り型だし台詞もくさいところあるけど、もういいの。はっきり言ってだらだらと「ジョジョ」読み続けてるようなもんだしね。

ちなみに「チームバチスタ」のあの人出てきてニヤリとします。

たぶんこの人もう「このシリーズずっと書き続ける」と決めちゃってるんでこの作品だけで話し終わらせるつもりなんてさらさらないんだろうね。この作品の話も「終わってないじゃん」という感じ。ずっと読んでる僕なんかは「ああ、続くんだろうなあ」と思えていいけどいきなりこれ読んだらようわからんだろうなぁ。

少なくとも「チームバチスタ」「ジェネラルルージュ」それと「ブラックペアン」読んでから読むのがおすすめです。

股って言葉の正しい使い方

2010-07-07 22:05:30 | 
僕にとってはまぁとにかく「出たら買う」って作家の一人、伊坂幸太郎。

今年前半は「うーん、どうにもそそられる小説がないなぁ」と生意気にも思ってたんだけどここに来て海堂尊も7月と9月に新刊出るらしいし京極夏彦の百物語シリーズの新刊も出るらしいし今からジュルルとよだれが止まらない状態になりましたね。

つーことで伊坂幸太郎の新刊も出ましたよ。


装丁がきれいな小説です。

これ元々は「郵便小説」というスタイルで書いてたんですって。当選した50人にだけ毎月短編小説が届く、という企画。

ずいぶん素敵なことを考えるねぇ。

朝起きて家のポストを開けたら伊坂幸太郎の、しかも全国で50人しか読めない短編小説が届いてる、なんてそりゃハッピーなことじゃないですか。

主人公はある女性に付き添われて恋人に別れを告げなければいけない星野という男性。付き添っている女性というのが体もとても大きい上に言葉遣いも荒いしとにかく乱暴、名前は繭美。

繭美は星野を<あのバス>に乗せるために連れて行こうとしている。<あのバス>というのがどういうものでその行き先がどこなのか?なぜ星野は<あのバス>に乗らなくてはいけないのか?は少なくとも小説内では描かれない。

とにかく<あのバス>に乗ってどこかに連れて行かれる前に彼は恋人に別れを告げることを希望する。そして恋人を訪ねる。

ここで問題が一つ、いや5つくらいかな、ある。

彼が別れを告げなければいけない恋人は5人いる。

なんと彼は五股をかけてたんだよね。いやー、まいったまいった。

(関係ないけどさ、相手が二人だったら股は一つになるから二股って二股じゃなくて「一股」が言葉としては正しいと思うんだけど。はい、関係ないね)

五股なんて言ったら「さいてー」って感じだろうけど星野のキャラクターは決して嫌な感じではない。「うーん、たぶん彼は目の前の女性にベストを尽くしていたら、結果としてワーストな結果になっちゃったんだろうな」とすら思える。

それぞれの短編が、星野と恋人との出会いの思い出(過去)、別れを告げ(現在)、その後日談(未来)、という流れになってる。

さすがもう「名手」とも言える伊坂幸太郎、会話もおもしろいしその後日談もいちいちほんわかとさせる。

そしてとにもかくにも星野はすべての女性に別れを告げる。

読んでてふと思い出したのがこの漢詩。

【勧酒】
  勧君金屈巵 満酌不須辞
  花発多風雨 人生足別離
(井伏鱒二訳)
  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみつがしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ

そうなんだよなぁ、人は皆いつかすべてに別れを告げていく。(最終的には死ぬわけだから)

でもさ「さよならだけが人生だ」って断言されると「おう、そうだよ、だからどーした。とりあえずまぁ飲もうや」って前向きになれるね。なんつーかそういう小説。

ああ、そうそう井伏鱒二を思い出したのはこの小説、太宰治の「グッド・バイ」にインスパイアされたんだって。そっちは読んでないけどね、僕。

13文字

2010-06-15 23:16:29 | 
もうこのブログを書いて6年にもなるわけです。

なんとまぁ。

毎回思ったことを書いているんだけど、結構タイトルにはこだわってる。

タイトルのつけ方は2パターンあって、まずタイトルを決めて書き出す場合と文章を書いた後に「この文章にはこのタイトルだな」とつけるパターン。

個人的にうん、いいタイトルだな、と思ってるのは、

違う、あれはあの人じゃない。

とか、

ただ歩いてたって楽しいよ、結構

とか、

月寒中央通のロング・グッドバイ

とかですかねぇ。


特に「月寒中央通のロング・グッドバイ」はかなり気に入っていて、いつか書けるものならこのタイトルで月寒中央通を舞台にしたちょっとハードな小説なんて書けたらいいなぁ、とすら思ってる。

こういうタイトルってキャッチ・コピーの技術とはまた違うし、結構独特なものなんだよね。

特別な技術、とまでは思わないけどある程度の技術は必要な気がする。

仕事でよく(とてもよく)Eメールを使ってるけど、Eメールのタイトルなんかでも残念ながら技術の有る無しは出るなぁと思うね。

ぱっと見て「あ、このメールは見ないと」と思うメールもあれば「なんのこっちゃ」と思うメールもある。

Eメールのタイトルのつけ方をどうすればいいのか、と思っても書いてあるのは「内容が分かりやすいように」「簡潔に」なんて一般論ばっかりで「じゃあどうやったら簡潔で分かりやすいの書けるのさ」ってことはいまいち分からないんだよね。

そう思ってたら、ちょっと参考になる本読みました。
ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)
タイトルどおり、ヤフー・トピックスというヤフーのページ開いたら出てるニュースを編集している人の本。

ヤフー・トピックスのタイトルはすべて「13文字以内」と決まってるらしい。それが何でかというと「人が一瞬で理解できるのは9~13文字」なんだってさ。へー。

じゃあ数あるニュースをどう13文字に入れ込むか、って技術が大変興味深いよ。

父と娘

2010-05-27 14:16:00 | 
その本はある女性が独白するように、こんなシーンから始まる。

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その女性は刑務所にいる父に面会に行く。
父との面会は6回目になるが、今まで父が話したことは一度も無い。
その女性がただ独り言のように近況を話していただけ。
今回もそういう面会になるのだろう、と思っていた。
面会室に入り、父が来る。
娘は話し出そうとする。
そこで6回目の面談で初めて父が言葉を発する。
「今日は寒いね」
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娘の名は松本聡香、そして面会相手である囚人は彼女の父である松本智津夫。


この本は松本智津夫の四女である著者が自らの人生を綴ったもの。

想像に難くないけど、その人生は凄惨で不幸に満ち満ちている。

読んでるほうも心がかきむしられるように辛いし、内容が重過ぎてなんと言っていいか、いや、どう感じたらいいのかさえも分からない。

冷静に考えたらなんでわざわざこんな暗部、しかもどんな人であれ結局のところ「父と娘」というパーソナルな関係の話なのに読まなければいけないのか?

僕は巧く答えられないけど、それでも同時代に生きる人間として読まなきゃいけないと思ったのだ。

勝つために戦え!

2010-04-26 22:29:44 | 
それはボートの外のこととか連立方程式は人生に役立つよん、とか映画におけるフード理論とか色々話したい話はあるんだけどあらかた話して気も済んだ感じもするので、今日は読み終えたばかりの本の話。

勝つために戦え!〈監督篇〉
勝つために戦え!〈監督篇〉

押井守というアニメ映画監督が監督を語る、というインタビュー集。

「勝つために戦え」と言われるとずいぶん勇ましい感じがするし、「勝つことがすべてじゃないでしょ?」と思うかも知れないけど、そういうニュアンスとはちょっと違う。

そもそも「勝つために戦う」って当たり前じゃん、と思うかも知れないけど、そうでもないんだよね、それは僕も思う。

たとえばさ仕事で議論をしていても「この人、自分の意見を通したいだけなのかな?それとも僕と一緒にいい仕事したいのかな?」と思うことがある。

一番やっかいな勝負ってのは「その勝負における勝利が明確になってない」ってことなんだよね。自分は相手を倒したいのか?それとも自分が生き延びたいのか? 場合によっては相手を倒さなくても自分が生き延びればそれは勝ち、ってこともあるだろうし。

この著者の言う「映画監督にとっての勝利」というのは非常に明快。つまり「次の映画が撮れること」 次の映画が撮れる限りいくら工業的に失敗しようが作品が駄作だろうが監督としては勝ちだ、と少なくともこの著者は言ってそして信じている。だから自分は勝っていると。

それが正しいかどうかわからない。「いくら偉そうなこと言ったって撮った映画が評価されなきゃ負けでしょ」という意見もあるかも知れない。でも撮れることが勝ちだ、と言っているこの著者はそれはそれで明快だな、と思うね。

じゃあ僕にとっての「勝利」とは何か?実は非常に明快。「死ぬときにパンツ一枚履いていれば勝ち」という明石家さんまの言葉どおり。ほんとにそう思ってるんだけど。

あとね、「一番いい勝ち方は不戦勝」とも思う。

もちろん誰かと戦わなきゃいけない時があるけど、人を負かすのって面倒だよ。恨まれるしさ。一時勝ったとしても人の恨みを買ったらいつかまた戦わなきゃいけなくなるしね。それよりも誰も行ってない山を見つけてそこに勝手に旗立てて「俺、勝った!」と言えるほうがいい。

おもしろうてやがてかなしき

2010-04-03 15:28:58 | 
いやー、ドッピオさんとの話は面白かったなぁ。

ドッピオさんも書いてますけど、昨日4時間くらい飲んでた会話の内容はこんな感じ。

「アメリカ映画→日本人にとっての母親父親観とは→天皇制と歴史解釈について→店員かわいい→痴女→右側通行→GW旅行案」

いやもうなにがなんだかどうでもいいですね。もし隣に一般人がいて我々の話を聞いてたらほんとこいつらどうでもいいな、と思ったことだと思います。

一軒目の店で話していた内容は前半、映画論が多かったような気がする。「ダークナイトのジョーカーはかっこいいし、本質的にバットマンとジョーカーは同じ存在だ」とか「スター・ウォーズにおけるヨーロッパ人の父殺しと楢山節考における日本人の姥捨てから考える比較文化論」とかね。酒さえ飲んでなければ論文が一本書ける内容でしたけどそもそも酒飲んでないとこんな話しないわけだから堂々巡り。

最近、僕が話す内容の元ネタは結構、町山智浩という映画評論家の本なんかから新しく知った知識が多いです。

著者の町山智浩という人は最近僕が好きな映画批評家。この人の映画批評は圧倒的な映画知識に裏づけされていて、しかもその知識というのがほとんどゾンビだのスラッシャーだの「B級、むしろZ級」という特異な人で聞いていて面白い。

その人のことを知らずに読んだのが「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」だったんだけど、これまた面白かった。

で、続編が出てたんだけどこれまた面白い。
アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲 (SHUEISHA PB SERIES)アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲

どういう本かと言うとカリフォルニア在住の著者の目から見た現代アメリカ。しかも単なるアメリカではなくてかなり変な、かなりおバカなアメリカ。今回はスポーツ中心に。

どのくらいおバカかと言いますと…

・筋肉神話を妄信し、ステロイドを使いまくる一般人。その数なんと約30万!

・自分の娘をチアリーダーにさせたくて朝から晩まで練習させる母。なれるなれないでライバルの母を殺す事件まで起きてる。→ちなみにチアリーダーになれたとしてもキャリアのトップはアメフトチームのチアリーダー。30歳で引退させられるが娘のその後の将来については何も考えてない。

などなど。

「アメ半(=アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らないの略、長いんだもの)」もそうだったけど読んでると最初は「バッカだなー」と笑える。

誤解の無いように言っておくと僕は決してアメリカだけをバッカだなー、と思ってるわけじゃない。そりゃ日本だってある側面ではバッカなところもある、そりゃもちろん中国だってイギリスだってそうだろう。国なんて結局は人間の集まりで一人の人間だって素晴らしいところとおバカなところがあるから愛しいわけでね。

ただこの本を読んでいると、そんなバカな国が(一応)世界一の国と思われてたり、(事実上)世界通貨を握っていたり、ましてや「世界の警察」を自称していたりするこの世界のことを考えてしまって、少し空恐ろしく思えてくる。

おもしろうてやがてかなしき、というのはこういうことです。

勇気の書

2010-03-02 23:49:54 | 
何回か書いてるけどドラッカー(経営学者)の本がかなり好きです。

ドラッカーの書籍をどう使うべきなのか、に関しては昔書いているのでここでどうぞ⇒「ドラッカーについて

(しかし、昔のブログの文書ってかっこつけてるよなぁ、我ながら)

今日、仕事で水戸に行っていて電車の時間まで暇があったので駅ビルの中の本屋さんに寄ってみた。僕の住んでるところは浅草なんだけど大きな書店というのがないんだよね、それだけが浅草という土地に対する不満。なんで駅ビルのワンフロア使ってる本屋なんて行くと嬉しくなる。

2冊ほどいい本を見つけたので(←これはどちらも面白かった、あとで書きます)、ビジネス書のコーナーを観たらその一角にそぐわない表紙の本を見つけた。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらもし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

なんか漫画風の女子高生が表紙。「なんじゃこりゃ?」と思ったらと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」いう長いタイトル。

うーむ。。。

ドラッカーはですねー、「ドラッカーを分かりやすく解説する」という主旨の本がたくさん出てます。僕も何冊か読んでみたけど、正直「これ読むんだったらドラッカーの著作読んだほうがきづきが深いな」と思うものばかりでした。そもそも本家本元のドラッカーの著作だってそんなに難解なものではないわけだし。
あまり役立たない、ということならまだいいんだけど「こんなの読むの無駄」と思う解説本もある。

これもどうせそういう類の本なんだろう、けしからん、と思って立ち読みしてみたんだけどいやいやこれがけしかるけしかる。


どういうストーリーかと言うと主人公はある高校の野球部のマネージャーの女子高生。その野球部は弱小。他人事みたいな監督、監督と口を聞かないエースピッチャー、その他野球の素人同然の部員。

そのマネージャーはまず「マネージャーってなにをすればいいのかしら?」と思う。そこで辞書で引いてみる。

そこには「マネージャー=マネジメントをする人」と書いてある。

そうか、マネジメントをすればいいのか、と思ってマネジメントの本を買いに本屋に行く。「すいませーん、マネジメントの本ありますか?」と書店員に聞くと「それならこれがお奨めですよ」と出されたのがドラッカーの『マネジメント【エッセンシャル版】』。

マネジメント - 基本と原則  [エッセンシャル版]マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]

かくして女子高生は『マネジメント【エッセンシャル版】』を片手に野球部のマネジメントに取り掛かる。

ドラッカーの本を開くとまず『われわれの事業は何か、という問いから始めなければならない』と書いてあるので主人公は「野球部の目的って何?」と考え出す。更には『顧客は誰か、という問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである』と書いてある。それで更に「え?野球部の顧客って誰?」と考え出す…。


そんなわけねーだろ、と思うけどまぁフィクションだからねぇ。

ストーリーはよくある野球ドラマのように始まり、進み、終わるわけだけどドラッカーの思想が非常に良くわかるしその結果が「野球部」という組織に現れてくるわけで非常にわかりやすい。

穿った見方をすれば「よくある野球ドラマのパロディ」ではあるわけだけどそれはそれでそういう楽しみ方も出来るしね。

おすすめです。

ドラッカーの本は誰にとっても役立つものであることはお約束します。

最後に、ドラッカーの言葉でいくつか僕が好きなものを。

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部下は上司の無知、無能、無作法さ、たいていのことを許す。
しかし「真摯さの欠如」だけは絶対に許さない。
そしてそのような人間を選ぶマネジメントを絶対に許さない
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⇒これを読むたびに「ああ、スマヌスマヌ…」と謝りたくなる。。。でも謝った後に、たとえ無知で無能で無作法でも「真摯さ」さえあればやっていけるのだ、と勇気がわいてくる。

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人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。
人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。
人とは費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。
人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。
組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することである。
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⇒ドラッカーはとにかく「強みを活かせ、強みに集中せよ」という。同じく「人が雇われているのは出来ないことのためではなく、出来ることのためである」とも言う。こんな僕でも雇われている、ということは出来ることがあるんだ、とこれまた勇気がわいてくる。

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明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う。
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⇒もし今日が思い通りのものでなかったとしても明日は今日とは違う、そう考えるとこれまた勇気がわいてくる。

僕にとってドラッカーは「勇気の書」です。