浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

勝つために戦え!

2010-04-26 22:29:44 | 
それはボートの外のこととか連立方程式は人生に役立つよん、とか映画におけるフード理論とか色々話したい話はあるんだけどあらかた話して気も済んだ感じもするので、今日は読み終えたばかりの本の話。

勝つために戦え!〈監督篇〉
勝つために戦え!〈監督篇〉

押井守というアニメ映画監督が監督を語る、というインタビュー集。

「勝つために戦え」と言われるとずいぶん勇ましい感じがするし、「勝つことがすべてじゃないでしょ?」と思うかも知れないけど、そういうニュアンスとはちょっと違う。

そもそも「勝つために戦う」って当たり前じゃん、と思うかも知れないけど、そうでもないんだよね、それは僕も思う。

たとえばさ仕事で議論をしていても「この人、自分の意見を通したいだけなのかな?それとも僕と一緒にいい仕事したいのかな?」と思うことがある。

一番やっかいな勝負ってのは「その勝負における勝利が明確になってない」ってことなんだよね。自分は相手を倒したいのか?それとも自分が生き延びたいのか? 場合によっては相手を倒さなくても自分が生き延びればそれは勝ち、ってこともあるだろうし。

この著者の言う「映画監督にとっての勝利」というのは非常に明快。つまり「次の映画が撮れること」 次の映画が撮れる限りいくら工業的に失敗しようが作品が駄作だろうが監督としては勝ちだ、と少なくともこの著者は言ってそして信じている。だから自分は勝っていると。

それが正しいかどうかわからない。「いくら偉そうなこと言ったって撮った映画が評価されなきゃ負けでしょ」という意見もあるかも知れない。でも撮れることが勝ちだ、と言っているこの著者はそれはそれで明快だな、と思うね。

じゃあ僕にとっての「勝利」とは何か?実は非常に明快。「死ぬときにパンツ一枚履いていれば勝ち」という明石家さんまの言葉どおり。ほんとにそう思ってるんだけど。

あとね、「一番いい勝ち方は不戦勝」とも思う。

もちろん誰かと戦わなきゃいけない時があるけど、人を負かすのって面倒だよ。恨まれるしさ。一時勝ったとしても人の恨みを買ったらいつかまた戦わなきゃいけなくなるしね。それよりも誰も行ってない山を見つけてそこに勝手に旗立てて「俺、勝った!」と言えるほうがいい。
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